言動一致
言動一致という言葉があるけども、言と動が一致するというのは、たとえば言がこれくらいだから動をこれくらいにとか、動がこんなかんじだから言をこれくらいにしてとか、そういうふうな調整によっては至れない状態なのではないかと思っている。
言が言として過不足なく、または動が動として必要十分であれば、自動的に言動は一致する、というようなものではないか。ようするに双方を秤にかけるのではなくて、それらはひとつのやりかたやありかたから同時に生まれていく問題であり答えであって、結果として見えている言や動を正してもその場その場の意味でしかないというか。ナチュラルなふるまいが言動を一致させるはずだ。
ただし、自分にとってのナチュラルな言動一致が社会に対して受け容れられる種類のものであるかどうかはまったく別の問題で、そこんところではうまく折り合いをつけていったほうが長生きできそう。そんでもって、そうした対社会を意識した修正のことを言動一致のための修正と錯誤しがちなのが罠的に厄介。