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PHONE BOOTH

まあおもしろかったんだけど、すごくおもしろくはなかった。

公開進行する犯罪モノ映画としては小品の部類かもしれない(メディアが状況に絡むけど、メディアをネタに話を転がす方向には発展しないから)。

以下ネタバレを含む感想や疑問。

  • 山場でのスチュの演説っぽい告白のシーンが、情感を盛り上げる方向にのみ向かっているかんじでちょっと不満。スチュが自分のゴミやガラクタを排泄して、ただ単に開放されてきもちよくなっていくかんじというか、それはそれとしてやっぱりみじめさとか痛さとかもあるはずだろみたいなのが。スチュを作品中で「偉大な男」に見せてしまうのは、演出上の誤りのような気がするんだけど、商業的な要求ってやつなのかなあ、アクションが主体じゃないアメリカ映画てだいたい「主人公が演説を一本ぶたいないと終われない」みたいな縛りがあるっぽいし。「セルフパロディを繰り返す(させられる)ことで細密化していく20世紀〜」みたいなことを、このシーンを眺めつつ思ったりしていた
  • 結局、序盤での売春婦の「グロックで撃った!」ていう証言はただの偶然ってことになると思うんだけど、それでいいのか?というかおれはまたてっきりあの売春婦は狙撃犯とグルなんだと(または雇われた役者だと)思ってたんだけど(電話ボックスの天板に置いてあった銃が本当にグロックだった時点でそう確信した)、おれの勘違いだったのか、尺の都合でナシになったか、オチの部分に詰め込む要素の選別の時点で切り捨てられたのか
  • 「最後のオチが都市伝説仕立て」てのはどうかなーと思った。なんかちょっと無理があるというか不自然じゃないかな。もうちっとたとえばそのー泉麻人的な視点とかそんなかんじで淡々と終ってもよかったんじゃねえかなと。翌日に業者がやってきて公衆電話を撤去するシーンで終わりとか
  • というか結局夫婦愛かよ!こういった理由不明の愛情に対する絶対の信頼(のポーズ)は、どうやっても一神教の連中の「実際には世間はいろいろめんどくさいのを了解しつつも、世間を単純に捉えておきたい」みたいな願望に拠って立つ意思(作品表現)感を醸し出して、微妙な歯切れの悪さをおれに感じさせるのだなあと思った