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ゲーム難度をめぐる戦い

しかし地球防衛軍のようなゲームをこういう遊び方しててつくづく感じるのは、三国無双などで一般化した「これ系のゲーム性を持つゲーム」の難度調整の厄介さだ。非ゲーオタをも包括して市場を設計せねばならないような大作ゲームの場合、プレイヤスキルによる難度調節は、ゲーム側ではむしろ「初心者排除の悪要件」として排される傾向が強くなり、よってこうしたゲームをゲーオタが遊ぶ場合には、その難度をプレイヤ自身が調節する必要が出てきた。
ABA氏の03/10/14付の日記(http://d.hatena.ne.jp/ABA/20031014#p2)で的確に説明されていると思う。

ゲーム難度に関する要素を単純化すると、

  1. ゲームレベル
  2. プレイヤキャラクタレベル
  3. プレイヤスキル

1 と 2 はゲーム進行につれどんどん上昇していくが、3 が上昇するかどうかはプレイヤ次第。

  • 1 だけが上昇していくと、ゲーム難度が上がる一方でいずれプレイヤはゲームをクリアできなくなる。
  • なので 3 の上昇を見込んである程度段階的なゲーム難度をデザインしていくのが古来のアクションゲーム。「ゲームに含まれる全体」vs「プレイヤ」という単純な構図。
  • そこへ「プレイヤキャラクタ(ユーザエージェントとも言うのかもしれない)」の概念を取り入れて成功したのが三国無双型ゲームバランス調整法(このケースで便宜的にそう言ってるだけで、べつにこれは三国無双が発明した方法というわけではない)。ゲーム内にプレイヤ側に有利に機能する要素(PC の成長)を置くことで機械的(定率)なサポートを提供する。1 と 2 を拮抗または 1 の上昇よりも常に 2 が優位に立つようプレイヤ側で操作できるように調整されたゲーム。1 と 3 の辛口ゲームに 2 という砂糖をぶちこむことで大衆化に成功した。

激辛難度になっても大量の砂糖をドバドバつっこめば、食える、からOK、という考え方。それは正しい。ただしその正しさはプレイヤの自制心を試す。

辛味と甘味どちらも大量投入することでバランスを保持しているようなものを延々食ってると味覚がおかしくなる道理。まあべつに実際のところおかしくなったって困りゃしないのでそれでいいのだ(それが理由で人間死んだりしない)。いいのだが、しかし、それこそが問題で、でもそんなことを気にするのは一部ゲーオタだけなのかな残念だな。マイノリティの聖地がマジョリティの観光地化していくよ。でもアクション性を伴うゲームにだけは聖域を作っておきたいひとびとは、己自身と戦うことにかけては百戦錬磨のはずなので、まあ死なないよな。ほかがどうなろうと自分の残機さえ残ってれば大丈夫、残機なくなったら無限コンティニューなんかせずさっさと死ぬ。これ。

食いものなんかうまく食ってなんぼなんだから、金払って買ったゲームをわざわざまずく食うのはおかしいんですよカテジナさん、甘味も辛味も酸味も旨みもなんでも適度がいちばんです。とはいえしかし、砂糖をドザーッとビンごとぶっかけるのは、それはそれで快感ともいえるわけなんだよね。占いあそびやプチプチつぶし的な単純作業にあるおもしろさを否定するこたないわけだし。

プレイヤキャラクタレベルというのはようするに RPG で培われたノウハウだ。RPG のゲーム内容に関して、プレイヤ自身がそれとわかるほど成長することはあまりない。ほとんどの成長はプレイヤキャラクタが担当する。その比率は圧倒的。アクション性の高さを主軸とするゲームの場合うまいひとと下手なひとがセーブデータを交換しても結局うまいひとはうまくて下手なひとが下手だが、RPG の場合セーブデータの交換はほとんど致命的になる。とはいってもまったくプレイスキルがないわけではなくて、それは基本的な入出力系に対する習熟とかゲームシステムに対する理解とかで(「RPG 廃人の度合いはアイテム整理のスピードでわかる」の定説)、プレイヤスキルの上昇度合いの成果はこの場合「早解き」へ収束していく。べつに早解きする/しないではなくて、できる/できないの問題。×ポリシー ○ポテンシャル。

だから RPG においてプレイヤスキルの概念を成立させるためには(まあそんな必要はないわけだがもしそれをしようと思ったなら)、その RPG は話題としてプレイヤグループに共有されなければならないだろう。…いやいや、しかし古来のゲーオタはいまどきのネットゲーオタとちがって一人遊びだけはむちゃくちゃ上手いもんだから、RPG もひとりでコツコツやりこめたりしちゃうわけだしそれはそうとも言えないよな。うーむ。

あとまあ RPG を母体にしてアクションを取り入れると ARPG になるわけだが、三国無双のアクションと RPG の混ぜ具合とはまた違った感触に当然なるわけで、そこいらへん「やっぱり一応こっちのジャンルが母体」みたいな部分の差でけっこう違うんだなと思えておもしろいような。気が。あんまりおもしろくないかなしかし。各ゲーム毎の開発チームのポリシーみたいなものの差を感じるのは単純に楽しいんだけど、できたゲームがおれにとっておもしろいかどうかはまた関係ないしな。

RPG の官僚化が進みすぎてちょっと揺り戻しという意味もあるのかもしれない。結局コンシューマゲーでやる以上ボタン押して楽しいゲーム性をある程度は保持していないと、そんなのマウスやキーボードでやりゃいいじゃんって話になるし(操作ならともかく入力だけの話なら)。コントローラが「単に入力の不便なインターフェース」として扱われるゲームは、ゲーム機の方向性に合わないし、表現力の上昇曲線にも順応できないっていうのが。