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機動戦士ガンダム劇場版 I / II / III オールナイト

ガンダム劇場版まとめて上映オールナイ

昨日。MRSKP(ペンネーム)から昼に電話で誘われたときは低調だったので「行かないー」とか答えてしまっていたけど結局行っちゃったんだよ機動戦士ガンダム劇場版 I / II / III オールナイト。すまん MRSKP。でもギレンコスプレで見にいくってのはやめといたほうが正解だったとおもう。そこいらへんの空気感に関しては素人同然なのでよくわからないが、たぶんそういう雰囲気ではなかった。

かなり混雑していたけど、そのわりには快適に見ることができた。騒ぐひととか多少はいるかもしれないなあと思ってたけど全然居なくて上映中は静かなもんだったし。

映画は、さすがにおもしろかった。いやたいしたもんです。こりゃハマって抜けられなくなってもしょうがない。ガンダムの劇場版は見たこと自体は何度もあったし大学時代にみんなでプロジェクタ設置して一挙上映会とかもやったことはあったけど、まともな映画館ででかいスクリーンで見ることは、たぶん今後も含めてそう何度もあることじゃないと思っていたから、見にいったのはやっぱり正解だった。DVD とかほしくなった。けっこう見返したくなる。

客層はわりと若いひとが多かったようなかんじ。もっとおっさんオタが多いかと思ってたけど「そもそも初代ガンダムを全然知らずに見にきてたひと」とかもポツポツ居た様子。へえ、そうなのか。一応ちょっとはかじってるらしいひとが全然知らないほうの相方に必死でガンダムの設定を説明しているさまがほほえましかった。どの世代もそういうシーンは通過するものだな。あとTさんから以前「行き過ぎたガンオタ同士はお互いガンダム論議を避ける」という話を聞いたことがあったので、同行者同士などでもあまり感想会話がみられなかったのは納得だった。単にこの場が「静かなオタ」の集まりやすい場所だったという話かもしれないけど。

本編上映前にあった、ガンダムAの編集長である古林英明氏と北爪宏幸氏のトークショー(これがあるっていうことを開場直前まで忘れていた)を胃を押さえながら聴いたり、そのあとの質疑応答をドバドバ脂汗たらしながら聴いたりしただけでもかなりおもしろい経験だったとはいえる(一緒に行ったTも「も、もうこれだけで十分以上に元は取った」と笑いをかみ殺していた)。

んーしかしオタ的にはそうでもないのかな。おれやTは作品的にはわりとどっぷりオタ汁に漬かることこそ多いものの「オタ集団が集まったイベント」にありがちの通過儀礼的なものへの抵抗力とかは相当弱いほうだと思うし。上映イベント併催トークショー経歴の長い古オタ者のひととかにすれば「あんな程度は何ほどのことでもない」で済む話なのかもしれない。たいしたことのないものをたいしたことだと感じてしまうのはオタとしての恥と思うので、このあたりの判断をするためにはもうすこし経験を積んでおきたいところだ。

それはそれとして一応トークショー感想メモ。

  • 間の噛み合わないトークショーって見てて神経がすり減るけど、そういう場に無責任に立ち会うっていうのは得がたい楽しみのひとつではあるんだし(逆に責任を負って立ち会うというのは比類ない地獄)、あの場でたぶん一番胃が重かったのは古林氏なのかなと漠然と思ったりしていた。職業人って辛いところだな。日本の職業人のみなさんにはがんばってたくさんの勝ち戦をやってほしいなあと思った。あーでも古林氏が昔徳間文庫「デジタルデビルストーリー」の挿絵の仕事で北爪氏を担当をやっていたという話はちょっとなつかしかったのでよかった。おれそれ読んだことあったよ昔。
  • 質疑応答はもう最強の辛さというかいたた(痛た)まれなさというか、胃に鉛の手ごたえを感じつつ歯噛みしてひたすら耐えた。冷たく重い脂汗をダラダラ流した。おれがガマだったらあの時間にはさぞいいガマの油が採れたことだろう。十年前にも二十年前にも居たようなオタのひとが、なぜ 2003 年の現在でも当時そのままの姿でこの会場にもあらわれるのだろうか。時空を超えている。ひとならぬフィルムでさえ傷やら何やらで昔そのままの姿では居られないというのに。(いかなる種類のものであれ)確固たる精神の不滅を垣間見た気分だ。すごい。なぜかもう「ありがとう」の念で胸がいっぱいだ。おれはもう限界だと思った。
  • かれらは疑いなく正真正銘のオタクだし、その周囲で 34 ℃の絶対沈黙を形成する場の一席を担っているこのおれも、間違いなくオタクだ。タイムスリップして03年の未来にやってきた彼らの時空移動にひきずられ、おれはそれを逆に辿って十年前の自分自身に身を移して当時と現在の居心地の悪さを同時に味わう。

おれは限界だと思った。