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黒猫の時間

黒猫

池袋駅から歩いて 10 分くらいのところに死なない黒猫が居る。

彼、または彼女は空間的に存在しているが、その時間は凍っている。時間のうえに生きていない以上そこに生命のおわり、つまり死はなく、ゆえに不死の黒猫だといえる。動くことはない。というより一日のほとんどを、彼、または彼女は猫としてではなく、ただスプレーで描かれたらくがきとして過ごす。彼、または彼女が猫としてふるまう時間は主に夜(ごく稀に昼間も)、ひとがその通りに視線を投げる一瞬にある。とおりがかってふと目をやると、そこに黒猫が居るのだ。一瞬後には彼、または彼女はまたらくがきに戻っており、おれは我にかえる。

ああいや、こないだ見かけたときにはこの猫は、尻尾を下ろしていなかっただろうか? 10 歩くらい歩いてみてふとそんなことを思い、しかし振り返らずにそのままとおり過ぎる。そして5分もたてば黒猫のことを忘れ、次にまたその一瞬に出くわすまで思い出すことがない。

おれがこれまでに見た街中のらくがきの中で、たぶんこれが一番出来のいいらくがきだと思う。黒一色で仕掛けも単純、工夫といってもとりたててない。一発芸みたいなものなんだけど。この黒猫はたとえ消されても、ブロックごとこわされても、もうたぶん死なないと思う。空間的な死をもって黒猫を殺すことはできない。黒猫を殺す手段は時間的な死によってしかなく、そして一瞬以外の時間を捨て去った彼、または彼女を殺すために要する時間は、それはもう「その黒猫を知っている人間全員の死」をもって量るしかないだろう。

黒猫の時間、その一瞬は、黒猫自身ではなく、おれやおれと同じように黒猫を見てしまった人間の側にこそ発生し、蓄積されていく。そういう生命としてこそ、彼、または彼女の生はある。猫はかれら自身以外のなにも所有しない。だから、すべてはかれらのものとも言えるんじゃないかと思うことがある。