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最近の漫画

  • 風の大地」のあと、ちょいちょい「えの素」完全版を読み進めていた。おもしろかった。風の大地からだとギャップがものすごいんだけど、でも読み合わせは悪くないっていうか、かなりいいんだよね。青年漫画の懐は広いなー。巻き戻って「風の大地」を読み直して、シーン感情の読解に「えの素」的な理解を適用したほうがスッキリするところがあるよな。模様で視るのだ。内容はもちろん装丁も、なんの捻りもない剛速球ですごいなーと思った。アメリカのベースボールが日本で野球になったように、えの素は日本の漫画と同じルールだけど競技文化の微妙に違う、別の世界の漫画的な何かが突然出現したような姿なのかもしれないなーと思った。
  • 帯を見て「おー、これがひだまりスケッチの原作者の別の漫画かー」と思いながら読み終わって、改めて帯をみて「あ、ひだまりスケッチじゃなくてスケッチブックの原作のひとだった」と気づく朝。まあ「まなびストレート」と「ひだまりスケッチ」を間違えていた時点からは、かなり惜しいところまできてる。

日記管理関連

以前の、ブログモードにしたほうがいい気がせんでもないけどしたくないよ日記(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080804#p2)の書き漏らしで、ブログモードにすると、前後の記事への文字リンクがほぼ必ず文字切れを起こしていてダサいという問題もあった。日記モードの場合、

<前の日 | 次の日>

となっている部分が、ブログモードの場合日付記事単位になるので、その際に「前の日」「次の日」部分が記事名に置き換わる。んだけどだいたい記事名は長いので、文字が途中で切れる。たとえば先日の日記の一部である「路地裏猫ゲー妄想」をブログモード相当の表示にしてみると(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080824/p2)、以下のようになる。

<[妄想][web][オタ] Google Stree... | [雑誌][アニメ][オタ] オトナア...>

文字切れすぎだろう。とてもじゃないがこれは使えん。…というのには、明らかにおれの運用にも問題があって、つまり、日記カテゴリを多用しすぎているために、記事タイトルがはじまるまでにかなりの文字数を消費してしまっている。でもおれが HTML 手書き日記からはてダに移った大きな理由のひとつが「自由にカテゴリを管理でき、関連日記の抽出操作などが簡単にできること」だったわけだから、それをやめるつもりはない。というわけで、表示方法側で対応してもらいたい。

別にタイトル全文が表示されてあるべきだとまでは思っていない。カテゴリ使いまくると有効文字数が狭まるのが問題なんだから、「リンク表記にはカテゴリを含まない ON/OFF」の設定追加とかで対処できるんじゃないかと思う。なんかめんどい対応なのかそれ。

オフライン RPG で有料チートは是か非か問題

XBOX 360Tales of Vesperia」の追加ダウンロードコンテンツで、レベルアップや所持金アップなどの有料チートが販売されているらしく、ゲーオタクラスタで揉めているらしい、という観測の話題が 360 クラスタで盛り上がっていた。

RPG 界隈でいうと、MMORPG などにおいては非公式 / 公式の RMT 行為は一般的な話題だ(とはいえ、まだ語り尽くされたとはいえないんだろうけど)。XBOX 360 界隈ならどうかというと、似たような有料チートは前例があり、新しい話題とはいえない。のだが、なぜか盛り上がっているのはおもしろい。ToV のチート販売というトピックは、これまでのパッケージが届いていなかった、一番ベタなジャンルの、いちばんベタな客層に届いたということなのかなー。話者のマインドを想定すると、ネットで定期的に盛り上がる無断リンク禁止問題とかと近そう。プレイヤが入れ替わってるので議論がループしても大した問題にならないという。

  • 逆に考えるんだ。昔はアイテム課金できない時代だったから「道中戦闘を退屈にさせない」という思想が必要だったんだ。それをさらに裏返して、現代のネット RPG には「わざと戦闘をかったるくして、アイテム課金で儲ける商売」とかがみられるわけじゃないか。
  • おれ自身は昔から「RPG と ADV はかったるいのでやらない」側の人間なので、「経験値を金で買うなど邪道」言説には当事者意識を持たない。まあ不粋であるという意見には共感する。かったるいので自分ではやらないけど、やるひとはあのかったるさが好きなわけなんだろうと思っているので(詳しくは後述)。金で解決できるとかいわれても、そんなことしてまで RPG をやりたいと思わないし。一応 Too Human は触ってみたいなと思ってるんだけど。ToV とかはなー。べつに。
  • レベルあげにおける PAR とアイテム課金の根本的な違いは、前者が「暇があるくせに暇つぶしに効率を求めるひとの用例」で、後者は「暇がないくせに暇つぶしをしたがるひとの用例」として想定されうるあたりかなー。この想定温度差はデカい。
    • エミュレータや PAR には「その開発や使いこなしに関与することで、後に産業に携わることになる(または現在すでに産業に携わっている)少数のギークを輩出するシーンなのだから見逃せ」論調とかあったりするわけなんだけど、実態としては、そのような少数と、それに群がり「恩恵」にあずかるだけの多数によってシーンが構成されていて、後者の実状が問題になってくるとあまり綺麗事で済まなくなり、あとまあギークが「将来の仕事」より「現在の金稼ぎ」を優先した場合、かなり困ったことになるわけだが余談。
  • 具体的な解決
    • アイテム課金でレベル上げした割合に応じて、村人や仲間の台詞に「…でも(主人公)の家は金持ちだからなー」「さすがいいとこのお坊ちゃんは違いますね」とかそのての発言が混じるようになる RPG ならどうか(←工数が(略))。課金レベルあげ次第でフローラが卑屈な態度をとりはじめるドラクエ V。ケフカに「なに不自由なく育てられたおまえにおれの気持ちがわかるか」と言われる FF VI。最終シーンでリトライを繰り返していると、なんか戦闘前にラーム将軍が「600MSP で手を打とう、それでどうだ?」と言い始める GoW。…いや GoW の場合は「フレンド呼んで Co-op 助太刀してもらえよ」って話になるわな。
    • 360 独自解決妄想となるが、有料 DLC を買うこととアチーヴメントをリンクするとおもしろいんじゃないかという気はする。ああいや、最近 PS3 にもアチーヴメント相当の共通仕様が追加されたんだっけか。なんでもいいけど。以前、スコアとしては非常に小さい「名誉的な意味合いの強いもの」を各 1pt くらいで割り振るのがいいんじゃないか、とか考えたことがあるんだけど(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080202#p1)、その逆の実装てできないものかな。
    • つまりこうだ。パッケージ内容自体には合計 1,000G のゲーマースコアが割り振られている。その内訳の最小単位を、たとえば 10G とかにしておく。とすれば、進捗状況にかかわらず「通常、そのタイトルのゲーマースコアは 10 で割り切れる」と判断できることになる。という準備を整えて、有料チートを DLC として販売する。そして各有料チートには「購入した時点で解除されるアチーヴメント」を、各 1G で割り振っておく。これがつまり「不名誉のアチーヴメント」だ。そのひとのゲーマースコアを確認するとき、そのタイトル一覧画面でそのゲームのスコアの下 1 桁が 0 以外であれば、そのひとは有料チートを買ったプレイヤだと分かる。タイトルの詳細ページをみれば、どの有料チートを購入したのかも確認できる。
    • それを不名誉と感じるか感じないかは価値観によるので、一概にペナルティとはいえない。というより、ゲーマースコア自体がそういった性質のものだといえるので(執着するひともいれば、頓着しないひとも居る)、結構使えるんじゃないかと思う。問題は「その一桁の不名誉アチーヴメントをタイトル標準の 1,000G の中に含めると、実績全解除プレイに執着しているひとのブーイングを買う」らへんか。過去の 360 タイトルをみるかぎり、有料 DLC には別途アチーヴメントを付与することが可能だが、そういった事例では有料 DLC 自体にかなりのボリュームがあったり、別ルールによる対戦が可能だったり、いろいろ食い応えのあるものだったかんじなので、むしろ手間を省く性質の有料チートに対してアチーヴメントを追加するという用途では、許可されづらそうなかんじはする。9 件の有料 DLC に対して追加ゲーマースコアが合計 9G とか笑えると思うんだけど。

もうちょっと真面目に、なぜ RPG で有料チートが叩かれるのかというと、それがゲーム体験をゲーム消費に変質させてしまうバイパスだからだと思っている。オタは消費するからこそ消費を嫌悪し、永遠でいられないからこそ永遠を願うのだ。かしこくスマートな堕落を容認できない中二の魂が、チートを叩く。金払ったやつがラクを出来るからとか、むしろ金払う側を標準に難度デザインを調整していく未来がとか、そういうことでもなく。人間がなぜ自分の人生を噛み締めるのかということを考えたときに、「ほかの人生を生きることはできないから」が占める比率ってたぶん相当でかいよね問題とかと通じる。遊んでる最中におもしろいかどうかとかの話でもない。それが過去形、記憶になったときに、「いいとか悪いとかじゃなく、とにかくにもそいつと付き合っていかねばならなかったもの」に対して、ただ「同じ時を過ごした」というそれだけの理由によって生じる愛着や執着の強さは、(おそらく完成された判断力を持つようなひとでさえ)容易に見積もりきれるものではない。

一般的に、換えがたいものには高い価値が生じる→人間の体験や記憶は交換できない→自分の体験や記憶は換えられないがゆえに高い価値があると強く錯覚させる、という亜空間論法の成立。RPG をそういう「ゲーム体験」なのだと信じてるんじゃないのかなー。そこが彼らのサンクチュアリ(by 史村翔)で、あとの理論武装はどのようにでも、という話なんじゃないかなーと思ったりしている。実情として彼らがそれを固く信じて疑っていない、わけではないからこそ感情的な反応があり(中二とは信じたいと願う精神と適当に堕落した身体のハイブリッドだ)、また非公式なチート手段などいくらもある昨今で、それと同列に捉えた場合の「公式チート」には、それほどのインパクトはないはずだ。やはり「公式」であることの意味は「神聖性(の否定であると解釈されること)」にあるんだと思うよ。

あと、lu-and-cy 氏の以下の日記を連想した。