ライトノベル「超」入門
特にライトノベルとはなんぞやといった疑問があるわけでもなく、というかなにかに入門するときジャンル名から入ろうとすれば大抵失敗すると思っているわけだが(ジャンルの話はある程度数をこなしてから意識するのが順番的にしあわせであろう派)、著者が新城カズマ氏だというので買って読んだ。おもしろかった。
ネットで見た評判ではわりと茶化したようなものが多かったので、「まあなんか読んでおもしろいんだろうけど入門にかこつけた玄人トークをぐだぐだやってくかんじの本なのかな」とか思っていたが、意外としっかりと要点が押さえられていたように思う。これくらいわかりやすく書いてあるなら、さらに図表とか混ぜてくれると素晴らしすぎたのではないかと思ったが、まあこれはこういう本だったということだろう。
読書メモ。
- ラノベは本棚単位で一冊の雑誌と考えればよい(単行本は、連載ひとつひとつがバラ売りされているようなもの)
- ラノベの特徴(文体・イラスト等)を、説明→理解のコストを下げるための工夫として逆算する試み
- ラノベにおけるイラストの絵柄開発の歩みについてもちょっと触れられていて刺激
- 物語分岐可能性に伴う「物語制作と ADV 制作の価値観差」問題(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20041021#p1)について、「近代文学はキャラクタが苦悩し、ゲームはプレイヤが苦悩する」と、すっきり説明されてある。
- LOTR におけるエオウィンが料理下手だったというネタが原作にもあったかどうかは気になっていて(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20031223#p1)、いずれ調べてみなきゃいかんなと思っていたのだが、今回新城カズマ氏が「たしかあれは原作にはなかったと思いますが」と書いていたので、よしじゃあおれの中ではなかったってことでいいやと思った。
原作アニメ混乱
- 「涼宮ハルヒの憂鬱」がアニメ化されているという情報
- かなり良いという評判
- TV をつけてみると、やっているアニメの主人公の名前がどうやら「ハルヒ」
- なかなか良いかんじ…かな?(「定評」と呼べるには、もうちょっとなにかが必要っぽいが…)
- でもなんかおれの知っている「涼宮ハルヒの憂鬱」とは設定がかなり違うような…?
- まあアニメ版だし、おれは最初の一冊しか読んでないし、続刊以降でこのような展開になっているのかもしれない
…というようなかんじで、微妙に首を傾げつつも「どうやら今見ているアニメが、話題の「涼宮ハルヒの憂鬱」アニメ版であるらしい」と納得したまま五分くらい見つづけて、ようやくそれが「涼宮ハルヒの憂鬱」(http://www.haruhi.tv/fanclub/)ではなく「桜蘭高校ホスト部」(http://www.ntv.co.jp/host/)だと気づいた。まさかハルヒなんていう名前のヒロインの登場するアニメが同時期に二本やっていようとは。つくづく油断できない世界だよ。
大したことのなさと web 文書
よくある話なのでアレだけども。
- 大したことない情報なのでネットに上げない
- 大したことない情報なのでネットに上げる
どっちもどっちで正しいとおもうけどおれの場合は強いていえば後者。世間的な流れでいえば、後者のほうが Web2.0 とかにも合致するのだろうと思うし。Web2.0 というものの一端をおれなりの理解で要約すると「Google 社の科学力を信じろ」ということだ。つまり Google 社は我々に「おまえらクソどものクソどうでもいいデータのありったけを片っ端からネットにアップし続けろ!速やかに!途切れることなくだ!それら全部を我々が完璧に格納してやる!無数に付箋を貼り付けられるよう準備してやる!あらゆる角度からマイニングできるように整理しておいてやる!十万年のあいだでただ一度しか必要とされないデータであっても、その一度の機会にそれを求める誰かが I'm Feeling Lucky ボタン一発で真実へたどり着くことができるよう日夜努力してやる!十億年に一度も必要とされないデータであっても、どこかの暇人の量的な分析の材料として有効に役立てられるよう噛み砕いてやろう!だからおまえらクソどもは我々に無尽蔵のデータを提供せよ!そうすることで我々を万能に近づけ、いずれ全能の座へと押し上げるのだ!」と迫っている。という理解。
だからおれにとって大したことのない情報はネットに上げる。おれにとって大したことがないわけではない情報、たとえば自分や他人の個人情報は、ネットに上げない。そういう基本ルール。Google の検索結果がゴミだらけで使いものにならなくなる日が来れば、おれにとっての Web 2.0 は御破算、または賞味期限切れということだ。