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なんでもかんでもシステムのせいにしておけば問題ない

JR 御茶ノ水駅 | 060505

もやもや話を中途半端にメモ。

出会い系 SPAM メールには絶対乗らないひとでも、SNS のフレンドに「出会い系おもろいぜ」とか言われて URL 貼られればアクセスくらいはするかもしれない。そういうところが SNS の怖さだ、とか納得しかけたがもちろん違う。もっと基本的に村社会であるとか同調圧力であるとかホモソーシャルであるとかが説明していることで、それはべつに SNS の問題ではない。「迂闊に SNS ってつまんねーとか言っちゃうことは、それは単にきみのフレンドリストがつまらない人間関係をリスト表示していることの説明でしかない」とかそういう筋合いと同じ。まあそれもまた「人間力」的な強圧に過ぎないのだが。どちらかといえば、おもしろいとかつまらないとか、危ないとか安全だとか、そういう判断に白だの黒だのの属性をのっけて理解しようという態度がよくないということかもしれない。どうであれ「それはそういうもの」とだけ受け取って思考停止しておくのがうまい処世である気も。

それはそれとして、人間関係のつまらなさをシステムのつまらなさに置き換えることと、人間関係の性質をシステムの性質に置き換えることはちょっと違うかなという気もしている。どのみちやはりある程度「暮らしのうえでの人間関係」という基礎を母体にしている我々のコミュニケーション感覚体は、生身の関係から想像される法則や規則性が、ネット上のサービスにおいてはどのようにシミュレーションされどこがディフォルメされているかという、その「差」の部分を「システムの特徴」として理解することによって、新しいサービスのコミュニティ感を受容していく(さらにここに「生身こそがリアルである」とする感覚に対する世代間のズレとかも挟まってくる)。そうなったとき、どこまでを人間の領分として、どこからはシステムが誇張した(または生身の関係上にはないレイヤを付加した)部分とするかについては、現状うまく合意が取れない気がする。

MOTHER 2 ギーグの逆襲

一ヶ月以上遊んでないなあということを日記しておく必要を感じる程度には、遊んでいないことに対する危機感の水位が上がってきた。やはり一度長期中断をはさんでしまうと、次もまた長期中断できてしまうということが体感できるので、ちゃんとモチベーションの圧力を上げて初速つけないと厳しいかな。次回作がまた GBA 用タイトルとしてリリースされるらしいので、シリーズのファンとかならそこを取っ掛かりにできるんだろうけど。ええい、このままおれは一生 RPG を遊べない体質のままでいいとでもいうのか。いいよな実際。いやいまはよくても将来そうでなくなることを見越してのリハビリテーションであるわけだし。現時点での判断は重要じゃない。

というかもう MOTHER 2 は諦めてワンダースワンカラー&魔界塔士 SaGa 1&2 を適当な値段でゲットしてそっちを遊びきることで RPG に対する自信を取り戻そうではないか、というような目論見もこないだちょっとあったんだけど、なんでかっていうと中古ゲーム屋に行ったときそれらの環境が合計 2,000 円程度で手に入りそうだったからなんだけど、なんか店員のひとに聞いてみたらワンワンカラーの本体が品切れしててダメだった、という話。でも SaGa なら遊びたい気持ちでクリアまで到達できるかもしれないんだけどな。しかもカラーで。しかしそうなると結局原体験とかそういうものに縋っていかないとダメかという話になり、それはリハビリとして弱い気がして。