おねがいマイメロディ DVD melody 1
- #1 バイオリンが弾けたらイイナ!
- #2 勉強ができたらイイナ!
- #3 友達がたくさんできたらイイナ!
- #4 おうちがキレイになったらイイナ!
見た。非常によかった。が、この非常によいというのは、なんかオタュン大好き語であるところの神作画とか鬼動画とかそういった類のあれではなく、なんかいい具合のアレというか、別の言い方を考えると「非常に適度だった」みたいなかんじなので、他人に強くお勧めはしない。ふつうは地上波で見て終わりだと思う。けど今回のケースでいうと、ふつうでは済んでないひとのほうが多そうな気がする。
- マイメロの黒目のサイズの中途半端さはおれを常に不安にさせる。LOTR の黒の乗り手のローブの内側の漆黒みたいなイメージなのだが、内側からなにか虫の前肢みたいなのがチラリとのぞいても不思議じゃなく、逆にあの目に吸い込まれてもおかしくない。あれが目なのか穴なのかも関係ない。完全な黒は、それが奥行きを持っているかいないかを問題としない。たとえ穴でも消え失せるし、たとえ目でも吸い込まれるのだ。次元を渡るものの目だと思う。銀の鍵の門を越えてというか。
- クレジットみたら、マイメロの声は佐久間レイ氏だった。ちょっと意外な…いや、ムーミン谷でいうとミー、しあわせのかたちでいうと本田べるののひとだと考えると、なんとなく納得。
- 映像特典で「♪スキスキスー フワフワフー」とか実写で女のひとが歌ったり踊ったりする PV がついてきたので見た。妙に見覚えのある風景だなと思ってよく見たら学校の屋上から遠くにみえるあのビルはまさしく池袋サンシャイン 60(http://map.hatena.ne.jp/?x=139.7176194190979&y=35.72906255722046&z=1&type=satellite)!そしてその左に白亜の池袋砲台(http://map.hatena.ne.jp/?x=139.7139286994934&y=35.734405517578125&z=1&type=satellite)!さらにたぶん都営三田線新板橋駅のあたりにある高層マンション(?)も見えるよな(http://map.hatena.ne.jp/?x=139.72025871276855&y=35.74775218963623&z=1&type=satellite)。
- となると、たぶんちがうけど、たとえばロケ地はこのへん(http://map.hatena.ne.jp/?x=139.70019578933716&y=35.72751760482788&z=1&type=map)とかか?方角的にはこっちだよな。
次は第八話(http://www.medianetjapan.com/2/20/tv_radio/mokyuxtu/anime/html/my_melody_08.html)が収録されるはずだし、二巻も楽しみだ。
the Dark Lord of the Sith
はてダキーワード「シス」(http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%b7%a5%b9)によると、
なお、ダース・ベイダーの Darth は the Dark Lord of the Sith =「シスの暗黒卿」の略である。
ファイナルファンタジーをファイタジーを略すようなかんじか。
みんな大好き塊魂
ちょろちょろ進めているが、現状あまり塊魂新作としての好感度が上がって来ない。触り心地は悪くないんだけど。なにがおれを楽しませないんだろう。細かく分かれてる気がするからかな。あまり分割を好ましく思えない。ステージとかバラバラにたくさんあるんじゃなくて、ものすごくでかいのがいっこだけあるくらいでいいと思っている。初期半径と初期位置とクリア条件と制限時間が毎回違うので展開が変わってくるみたいな程度で。そのような塊魂に対する願望の持ち方は、みんな大好き塊魂的なコンセプトにはそぐわないのかもしれない。その全貌をおれはまだ見ていないと思うけど。なんとなく途中経過では。でも学校の中でひたすら巻き込んでいくやつは楽しかった。だからモノとシチュエーションの重要性っていうのが避け難くあるっていうのはわかる。
スケールが境界線なくどんどんでかくなってゆく(=境界線を感じさせない)という方向性を絶対正義とするなら、「各ステージ」という考え方は境界線主義そのものなので相反するといえる。とはいえ境界線は、ないように扱っているだけで実際にはあるわけなので、各ステージ制を排撃すべしというような話にはならない。塊魂は不自由な環境に自由感をもたらす小粋なアイディアであって、自由な環境で自由を謳歌するハッピーな革命というわけではないから。ほどほどの落ち着きどころをみつけるだけで百点満点だ。で、どのへんがほどほどで、落ち着きどころなのかというのがデザイン上のテーマになってくるのだろうが、これがどうもいまひとつおれの趣味とは違うのかもしれないという感覚。まあユーザ(おれ)の願望などというものは、現実にある様々の(スペック的リソース的)境界を無視したようなところに着地しがちなので、そんなのに合ったゲームが出てくるようなら感動するしかないわけで、まあないよなそんな事態はというか。