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JR 新宿駅連絡通路の誘導メッセージのフォントが妙にかっこいい件について

新宿駅 | テクノフォント

ずいぶん前から大規模改装工事中という印象のある新宿駅だが、地下の連絡通路で「こっちあっちそっちどっち」系の誘導メッセージが壁にベタベタと貼ってあって、なんか色テープを目貼りして細かいところはカッターで切って整えて字を作ってるかんじというか、なんかそんなかんじなのだが、これが妙にかっちょいいテクノフォントなので通るたびに心惹かれてしまう。なんかこういうフォント集から型を打ち出してマスキングとかしてるのかなあ。それにしてはあちこち同じ字でもちょっとづつ違うんだよな。やっぱこういうのが得意な職人さんとかが現場に居て、そのひとが毎度適当にいい具合に「まあこんなかんじだろ」とやってんのかな。惚れる。いずれにしても、普段目にするようなデザイン寄りのテクノフォントとは濃度が違う。実用とおしゃれが高いレベルで融合し、気骨として表現されている。なんといっても塗装でなくて実体の集合だしなこれ。これがオリジンの力か。

数年前、東京駅の改装工事現場でも同じようなフォントの誘導メッセージをみかけて感心したことがある。だから新宿駅の件のみという話でもない。業者じゃなくて JR 側とかでそういうフォントを運用してるのかもしれない。メッセージテープ目貼り職人が居るというほうが夢のある話だとおもうので、そっちだということにおれはしておきたいけど。

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「ゼルダの伝説 風のタクト」のトゥルーエンド

先日のトゥルーエンドメモ(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20041021#p1)に関連。おれ自身が「心情的トゥルーエンド」を意識したタイトルとして、最も記憶に新しいのは GCゼルダの伝説 風のタクト」だ。おれのプレイデータ内時間は「最初の島の、ほとんど冒頭」で止まっている。より具体的には、うちに帰っておばあちゃんから服をもらって、物見塔に戻って妹から望遠鏡を借りたところ。ゲーム序盤も序盤。実際のところセーブする必要もない。それでもあえてセーブしたのは、「ここをおれのトゥルーエンドと規定する」という意思を明確化するためだった。

トゥルーエンドにエピローグは要らない。おれはそこから先にストーリーを進めることに熱心になれず、それでもまあ一応ゲームだからといろいろ試行して、それなりに楽しんで、でもやっぱりまた最初からやり直し、ほとんどまっさらなセーブデータを改めて作り直して、ゲームをやめた。これはゲームプレイ上にあるエゴイズムの、かなり特殊な解釈例だろうと思う。おれのこの心理と行動について、周囲のひとにくどくどと説明してみたこともあったのだが、「単にひととおりシステム見てあとはめんどくさくなっただけでしょいつもどおりに」と理解されただけだった。まあそれはそうだ、実際そういう気分も否定しない。だがバファリンの半分が優しさでできているように、心情的トゥルーエンド問題は、原理的に他者と共有不能である(←共感可能ではあるはず)がゆえの困難の愉悦であり(オタ的としかいいようがない!)、困ったことにおれには、「風のタクト」をこのプレイ方法によってふつうに最後までプレイするより楽しめたという自負がある(すくなくともおれ自身の場合に、物語を最後まで進めて終えるよりもという対比で)。もちろんひとにはおすすめしない、勧めかねるし、そんなことは無意味だ。

改めて書くがおれは「風のタクト」を軽んじていない。本体のっけ買いしたタイトルだ、相応に評価しているし、その世界には愛着さえあるといっていい。キャラクタに対して誠実だとはいえない。そのうえで決めた。またしばらく経ってから、Tがあそぶというので貸して、クリアするまでを横で眺めることもやったが(長かった!)、やはりおれのあの時点での違和感や警戒信号は妥当だったと判断できた。

  • 「うちに帰っておばあちゃんから服をもらう」「物見塔に戻って妹から望遠鏡を借りる」この 2 つのイベントを消化した時点では、主人公は物語に対するモチベーションを持たない。
  • その次のイベント、「妹に言われるまま望遠鏡で赤いポストを見る」にかかる意義はとても大きい。そこから展開がはじまるからだ。物語「ゼルダの伝説 風のタクト」の最初のドミノは、赤いポストだといっていい。
  • 上空の巨大な鳥、砲撃する海賊船、森に落ちる少女。そこではじめて主人公にモチベーションが与えられる。物語がはじまる。もはや日常ではない。ミッションが提示される。提示されれば、それがゲームだから、もちろんクリアする。そうすると次のミッションが提示され、クリアする、さらに次に…と、この連鎖はエンディングまで続く。小問題や中問題はある程度分断されているが、大問題が全体を包括しているので一度転がりはじめてしまったらもう止まらないし、止めるべきでない。はじまったものはしょうがなく、問題があればクリアするのが自然だ。
  • だが、赤いポストを見なければ?
  • 巨大鳥はあらわれず、少女は落ちてこず、森の魔物と戦わず、妹はさらわれず、海賊船は接岸せず、主人公は島の子供で、ガノンドロフを知ることもなく、おばあちゃんは悲しい顔をしない。そのかわり時間は経過しない。物語ははじまらない。見知らぬ街や島は見知らぬままで、ほとんどのキャラクタと出会わず、ガノンドロフは野望を抱いて潜伏したまま、伝説は伝説のまま、世界のおおきさを知ることもない。はじまらないから、転がらないし、終わらない。ソフトにあらかじめ封入されている諸問題は未解決のまま。第一ゼルダにあるたくさんのおもしろいゲーム部分が、そこを通過しなければ開かれていかない。
  • だが、それがどうした?
  • ふつう物語のあるゲームは、はじめてしまった時点で終わりまで見なければ終わらなくなる。なぜといえば、大抵の場合オープニングの時点で世界や主人公は重大なものを奪われたり、または最初からそれをもっていないからだ。エンディングまで到達すればそれを取り戻したり、獲得したりする。そして幸福になる。または一面に戻る。竜王は既に君臨している。ピーチ姫は既にさらわれている。アーサーは目の前で姫をさらわれる。STG の自機はインストカードの時点で人類最後の希望。
  • 風のタクト」では、主人公はスタートの時点でそこそこ幸福なのだ。それはプレイヤ自身の手で物語時間を進行させることによって奪われる。ならば単純なことだ。時間を進めなければいい。それだけで主人公はしあわせのまま固定される。もちろん物語の終点まで到達することで、最初の時点とは違う、より解放された自由と大きな幸福を主人公は手にする。だけども、おれはおれの操作する主人公をそこにいたるまで導かなくともよいと思った。
  • それがいいことは知っているし、人間はいずれどのようにしてもそのようになってゆく。人間には時間を止める能力がないから、それによって解決を得る得ざるに関わらず、そのように暮らしていく以外方法がないからだ。だからこの物語上でもそのようにして主人公が自分と世界を手にし自在にしてゆくのは正しく、美しい。それは普遍的だ。だが普遍的であるなら、あるから、あるがゆえに、おれはわざわざこのゲーム上でまでそれを見なくともいいと思った。おまえはこれでいい。可能性は保留される。エンディングまでの道筋は用意されたままで、死んではいない。その状態で止まれ。たとえばおれは風のタクトガノンドロフがけっこう好きだ。ゼルダ世界の永遠の悪役。てことは最後まで進めると自動的にあいつは死ぬ。なにも殺すことはない。そこまでしなければならないほどシリアスな状況になるから殺す。だが今は、主人公とガノンドロフの縁は生まれていない。それは赤いポストよりももう少し先のことだ。だが赤いポストですべてはじまり、途切れない。おまえには悪いが時間よ止まれ。無数に複製されディスクに封入され店頭に並び、その中のひとつとしておれの家に来て結晶から拾い上げられ展開しているこのひとつの並行世界上での主人公のおまえは、ほかの多くの並行世界上でのおまえと違って赤いポストを見ることはない。時間を止めることなど現実ではできないしやらないが、これはゲームだからそれができるのでやる。おれのあそびだ。シリアスじゃない。単にそれが可能であればその選択もあっていいと思うだけだ。実際おそらく開発者のひとはイベント管理表をつくった時点で、こういう感じ方をするプレイヤが居ることは、ちゃんとわかっているはずと思う。おれのような反応は折込済みの設計だ。そこをエンディングと実際に規定する人間が居るかどうかまで懸念したかどうかはわからないけど(そんなことやってもしょうがないし)。でなければ妹はオープニングでさらわれるだろう。または森の長に呼ばれるとか。旅立ちを前提にするだろう。

かなり後ろ向きであり、物語の内容を考えても、おれのやりかたは決して褒められたものではない。ただ、心情的トゥルーエンド問題の自己解決は、それがいかなる方法であれひとに評価される必要がないともいえる。物語の登場人物たちや、物語自身や、そのほか周辺状況も含めて、たぶんおれは「それらのしあわせに寄与するあそびかたを捨てて、プレイヤであるおれ自身しか幸せにならない方法」を選択したのだろう。ファンであるとはいえない。あまり関係ないけど、この一事をとっても、おれは作品としてのエヴァンゲリオンを叩けるほど公明正大な人間ではないなあと思う。