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店員と人間扱い問題リターンズ関連

  • またぞろ「店員が機械か何かであるかのように粗暴に振舞う客」問題みたいなのが盛り上がっていたので「なるほどー」と思いつつコンビニ駐車場でおにぎり食いながらチラチラ飛ばし読みした。インターネット人間側としてまずひとつ言えることは「機械は操作したとおりに動くんだから人間より正確に扱え」だから、「店員が機械か何かであるようなら正確に入力すればするほど効果的」「薄給バイト店員相手の粗暴な振る舞いは、だから相手を機械としてみているというより、人間相手であればこその、相手の人間性に甘えた振る舞いなんじゃないか」「とはいえゲームで思い通りに操作できなきゃコントローラでモニタを叩き割るような人間らしさってのもあるよね」らへん。
  • おれの場合の話をすれば「人間とか面倒くさいし、いちいち人間性を求められるほうが却って尊厳が傷つくみたいなのあるので、いっそ機械でいたい」みたいな感覚あるから(→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080522#p2)、自分が店員だったらそこに人間を見ない客のほうが相手しやすいってのはあるな。でもいちいち相手を人間扱いする必要のあるコミュニケーションのほうが金になるんだよね。
  • 奥さんの買い物に付き合ってちょっと高級ぽい店とか行くと、商品選ぶのにモタモタベチャベチャくっちゃべって、いいのがなかったら長話しただけで帰ったりするし、買うとなっても包装もあんまテキパキやんなくて、精算も手続きに二手間余計にかかるような、わざとやってんのかと思うくらい(というかたぶん実際わざとそうなっているんだ)モタモタした接客をして、その間延々お喋りが挟まっていて、「おれはとにかくコンビニに行ってパッとガム取ってサッと精算して 15 秒で店出たいんですけど」みたいな世界観とまったく違うデザインの店であることがわかる。
  • ともあれ高級そうな店というのはモタモタしてるくせして高い金とりやがるんだ。そしてそう感じること自体、おれが高級側の人間ではない(にはならなかった)ことの証明だ。だいたいパッと買ってサッと帰れることを至上とするなら、おれは本来「パッと買ってサッと帰れるサービス形態」自体に金を余計に支払うべきなんだ。だが「パッと買ってサッと帰れるサービス形態」は大概価格帯の安い店一般にみられる傾向だ。まぁ安い商品は沢山売らないと儲からないようになってるんだから個別の客にいちいち手間かけていたら商売にならないってのがあるが、そういうのはいい。
  • そこで抜け落ちていっているのは無駄話、コミュニケーション、つまり「相手を人間扱いする」「相手から人間扱いされる」という意味での「余計な手間」の生活習慣だ。生活のなかでこれが欠けていくと、コミュニティをコミュニティ扱いしない、ということは次第にコミュニティに相手にされなくなる、そして人間は束になったほうが強いので、ゆくゆくは弱めの立場に自分を追い込むような人間が量産されていく。みたいなことを松枝蔵人聖エルザクルセイダーズ」の三巻らへんを読みながらなんとなく思ったなァ、みたいなことを思い出したりした、低偏差値クラスは会話が少なくて特進クラスは会話が多いみたいなの、あれ自分のお受験時代とかに実感あるんだよね。まぁ今回の話にはそこまで関係ある話ではないか。
  • つまり薄給バイト店員を人間として見ない客は、自分がもうワーキングプアとして階層を固定されたか、現在進行形で固定されつつある可哀相なひとなんだから、それを眺める自分がそうでないなら憐れめばいいし、自分もそうなら同情共感やり放題でエンタメとしてコスパが高いですね、というのが貧乏性人間の総体であるところのインターネット側の現状の結論ってことでいいと思う。
  • まぁでも高そうな店行っても、時々なんというか「金払う側にでも立たない限り、もうまともに他人が自分と喋ってくれるような機会もないんだろうなー」みたいなひとを見たりするので、ああなるのが一番悲惨かなと思ったりはする。いや、そういうひとはまだ金が続く限りは誰かに話聞いてもらえるだけマシで、やっぱり相手してもらう金も払えなくなった人間が薄給バイト店員相手に絡んだりしてるのかね。とはいえ、コミュニケーションしたいぶんだけ、そういうの要らないからチャッチャと済ませたい感覚に従ってるロボット人間のおれよりは(なんらかの上昇欲が残ってるぶんだけ)マシなのかな。
  • あと、仕事してるときに「自分は人間だし、相手も人間だ」と強く実感できるような業種でないかぎり、いずれその仕事は機械化されて、じぶんの仕事はなくなっていくとおもうんだよね(←田中芳樹銀河英雄伝説」によればラグジュアリー感というのは「機械にできることを人間がやってくれる」部分とかにも宿るわけなので、単純には「機械にでもできることだから」で仕事はなくならなくて、でも貧相な人間はおれみたいに「機械でいいや」と思っていくので、それを防ぐためには「人間っていいな」部分の生活習慣で人間同士が連帯していくしかない)。まぁ自然相手の辺境暮らしだといまだに「機械化するほうがコスト合わない」みたいな状況多いけど。労働者として長期的に生き残ることを考えると、自分の人間らしさ的なものをわりかし大事にしつつ、またそれを職場関係にアピールできていないとたぶん厳しいんだろうな。