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おっさんオタ通過儀礼関連

  • 現代的なオタ生活モデルの場合、そもそもオタクは同年代とだけコミュニケーションをとりつつ成長できるんだから(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080114#p1)、ひっくりかえせば「自分より一回り年上や年下の世代のオタクとは接点がないのが普通」という事情と、あとおっさんオタになったあと立ちふさがる「これまでは年長オタクが作ったもの見て感動してりゃよかったんだけど、これからは業界第一線年齢層も自分より年下になってくるんだよ?お前は自分より年下の人間が作ったものに感動できる感受性を養うことを怠ってきたよね?自業自得だよね?」問題が。環境にもよるんだろうが、「センスで何とかなっている分野のおさらいと再勉強は、28〜32 歳くらいで一旦やっておくと長持ちする」みたいなことを言われたことがある。オタクに限らず何でもそうだろう。
  • オタ趣味になりうるような大概の○○にはそれを楽しむための込み入った理解経路があって、だから「最近の○○はつまらない」というのは、そろそろ自分が抱えている経路だけではおもしろく感じることができなくなってきた、ということで、そこで焦りはじめておかないと(おもしろいとかおもしろくないとか一々眠たいことを言ってないで、とにかく最新の流行オタ商品を消費する修行をやってみるとか)、手遅れになって開き直るしかなくなる。
  • 普段年齢層をマスクしながらコミュニケーションを取れる、というシャッフル機能が匿名掲示板とかのメリットのひとつなのかもしれんが、まあそこでもうまいこと異文化コミュニケーションに利用できないで「ああ、よし、うむうむ、ここにはおっさんしか居ないな」という特有の加齢臭を嗅ぎ分け能力ばかり熟成させる残念利用形態に徹してしまったり。
  • まあ別にがんばって○○をおもしろがり続けることはないんだから、「つまんなくなったわー」で卒業でもいいんだけど。あのー別の話ですけど「いちいちジャンル去るとき砂かけしていくやつってアレ」という価値観ありましたよね、お忘れですかね、みたいな。

オタクというものが文化生活的なものの終端に近いなにかであろうことは疑いないわけで、ということは「天然自然と寄り添う暮らし」みたいな考えからすれば不自然の極みだといえる。また文化生活が取り巻く環境は人間を不自然に駆り立てるので、「人間が自然と不自然になっていく」という事情の力は大変大きい。といっても人間は元来自然界の生き物であるから、寄る年波は生態の自然さに寄り添う。というわけで、己が身体の自然さ vs 己が環境の不自然さの不整合ゲームが、勢いの衰える頃合に立ち上がってくる、とかなんとか。