matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

最近の漫画 - ドラゴンボール関連

おもしろいんだけど読み返したいような漫画ではない、という理由であんま改めて読もうって気分になることもなかったので、ドラゴンボールを読んだのはひさしぶりだった。ドラゴンボールてへんな漫画なんやねー。ジャンプ漫画を読んでいるってかんじがしない。ドラゴンボールを読んでるって気しかしない。

  • 読んでてゴクウに感情移入しないね。子供時代のゴクウについては、まあ「よつばと!」のよつばみたいに、おれがおっさんでゴクウが子供だから感情移入できないのかなと思ったけど、大人になったあとも基本的に移入しない。できるできないの問題でなく、移入するようなもんではない、というかんじだ。「クリリンのことかー!」と怒りを露にするあたりだけちょっと移入するんだけど、それくらいのものだ。もういっこゾクっとくるのはセルゲームで最後のかめはめ波を撃つ悟飯の背後にゴクウの像が現れるところだが、あれは感情移入ってよりは距離のある感慨みたいなもので、違う。
  • なんか少年漫画ってもうちょっと感情移入とかするものだったような気がしていたけど、考えてみれば近年のワンピースのルフィとかも、べつに感情移入するようなもんではないかんじがするから(いや、それも違って、誰か一人ってんじゃなく、もうちょっと周辺の人物の、瞬間的な感情に散発的に移入するようなかんじだよな)、ジャンプ王道て懐が深いんだなあと思ったりした。
  • じゃあおれが子供の頃、子供時代のゴクウに感情移入してたかっていうと、よくわからんのよね。たぶんしてない。おれはゴクウのような子供ではなかったし、当時の友達にゴクウみたいなやつは居なかったと思うので、なんだろう、「学校にも居ない、放課後にも居ない、漫画の中にだけ居る、自分に似ていない友達」みたいなかんじの位置付け、かなあ?といっても、子供の頃ドラゴンボールの熱心な読者ではなかったのでアレ(というか漫画自体あんま読んでなかった、いちばん熱心に読んでたといえるのは、公文式の塾に置いてあった月刊ジャンプと月刊マガジンか)。
  • 「もうちょっとだけ続くんじゃ」までのまとまりは本当にいいね。天下一武道会に優勝するまでの話だったんよな。このときのゴクウの「勝ちたい」感は、素直に表出していて、しかもその意欲には大した経緯がない、というのがいい。ほんとおれ「偶然の積み重なりから宿命みたいなものを読み取るまではいいけど、それに囚われるようになる人間側の心理」みたいなのが嫌いなんだな。
  • サイヤ人編以降、とくにフリーザ編に顕著な強さインフレ問題、しかし強さと努力はあんまり結びついてないかんじ。「修行」っていう括りはあるけど、それが何かというのは、なんだかよくわからん。「マネーゲームの比喩としての強さゲーム」とかのほうがしっくりくる。人造人間→セルゲーム編あたりまでは一応強さゲームは続くが、ブウ編になるとそれも瓦解して、ゴクウのあっけらかんとした位置取りが、初期の亀仙人あたりのイメージと重なってくる。サイヤ人編以降ゴクウのライバルとなるベジータは、いってみれば初期にヤムチャが失敗した位置取りに成功したキャラクタみたいなかんじに見えるが、そのベジータも、あえてでなければ強さにこだわりきれなくなってくる。ベジータはそのことに苦悩する(ヤムチャは強さゲームからサッサと降りた)が、ゴクウはこだわらない。
  • こだわらない貪欲さ、みたいなものが、ゴクウのかっこよさか。ゴクウは結果を出す男だけど過程を楽しむことにだけ貪欲だ。戦いたがるが、勝ちたがっているわけではない。守ろうとするが、守れなかったらごめんなという境地がある。そこに至ることが目標なのかもしれない。最強以外でかっこよさに近付くために諦めつつ投げない、というのがヤムチャ天津飯か。たとえばジョジョなら、強さは勇気(心の力)だ、みたいなところに落ちてる気がするけど、ドラゴンボールの場合は、ゴクウの強さは心の力なのかといえば、「いやー」ってかんじになる、力んでるわけじゃないからな、力といえばもちろん力なんだろうが。なんというか。

なんだかよくわからん。おもしろかった。おっさんになってから読んでよかったなー、という気分があった。いずれまとまるだろう。それと関係なくなぜか「♪ロマンティックあげーるよー」というアニメ版 ED の脳内リフレインが止まらない。いまさらながらしょこたん氏版など探して買えというのかおれのゴーストが。