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インターネット文語における接続詞関連…っていうか「ていうか」の話

  • インターネット文語における接続詞は、その本来の用途をはなれて前後を全然接続しない使われ方をされまくって久しいと思うが、いっぽう Permalink によるネット文の断片化により、一部だけに分断された文章にきれっぱしとして付属する接続詞の無意味さ、みたいな光景も後追いしてきた。これ、順番が逆なら直接の因果関係もありそうな話だけど、接続詞の無意味化のほうが先行している、というのがポイントだ。
  • さて、じゃあなぜ文章が実際に断片化する前から接続詞がめちゃくちゃになっていったのかといえば、あんまよくわからんが、ログインライター文芸とかへのリスペクトがあるんだと思う。
  • おれが「ようするに」と書くときには全然要していないし、「つまり」と書いてもつまってないし、「ていうか」などに至ってはほとんど接続する前段がないこと前提で使っている感覚すらある。

「ていうか」の場合をもうすこし掘り下げると、「いままでテーブルにはとくに挙げていないのだが、じつは潜在的に継続していた感情」みたいなものを改まって話題のテーブルに挙げる、という行動として、ある程度合理的に説明もできなくはない。たとえば「いままで特にそのことについて意思表明してなかったけど、じつはおれいま結構空腹なので、一緒にメシとかどうですか」→「ていうか腹減らね?」みたいな。

で、その感覚は、インターネットの使いこなしとしてかなり重要なものだと思っている。インターネットという表層においては、表出したものだけが存在するものとして扱われるのだが(なにかを自明として扱うのであれば、それが自明となるよう場に提出しなければアンフェアだ)、同時に、インターネットに表出しない水面下の身体性みたいなものは、各個人(および自分以外の関与者においても各人の個別事情を内包するという想像力)において自明なのだから、公共奉仕精神みたいなものによってネット利用しているのでもない限り、手元の主体性と連続性は、(結果的に観測されうる)不意打ち性みたいなものへのリスクなどより優先するのだ、という立場から、表層の前後を接続しない「ていうか」は書かれうる。

それはつまり「インターネットのためにインターネットを使う」という態度ではない。そして、その意識を持つ同士でなら、共犯関係として、共感を駆動させることは可能だ。「ていうか」でつながっている圏内は、そういうものだと思っている。