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関係と距離

揉め事に首をつっこみがちの J さんに反応する P さんとの会話ログから(おれ側の発言だけ抽出して)適当に増補改訂メモ。特になにがどうこう、というところまでは行ってない。

  • なんか視界内で自分に関係はないけど無関係ではない、程度の界隈についての声が聞こえたら反応する、という態度は、それはそれで自然だと思っている。無視は面倒を呼び込まないけどコストもかかるから、場合によっては必ずしもかしこい方法というわけではない。
  • (無視は面倒なのか?という質問に対して)無視というのは、「それがあることを知っていながら、それがないものとしての振る舞いをする」ということだから、無視しているものを監視しつつ、かつ「それがない場合の視界」を想定しつつ振舞うという、現状認識を二重に行う行為、というかんじだから、結構レベル高いっていうかコストかかる。
  • 「関係ないけど反応しちゃう」の心理は、関係・無関係だけでは説明がむずかしいかも。この場合はー、関係と距離の二つのレイヤで考えればよさげ、つまり、「接点はないけど近距離にある」というような。自分が無視していても相手が絡んでくる場合もある。「相手と自分の無視の我慢比べ(先に絡んだほうが負け)」みたいな、無駄に疲れる状態がいちばん良くない。
  • 遠距離(と感じた)ものは無視するほうがコスト低く対処できて、近距離(と感じた)ものには接点持ってコントロールしたほうが結局安上がり、みたいなかんじは、あるんじゃないかなーと思っている。もちろん、接点を作れば、影響を与えるだけでなく不本意な影響もある程度は受け入れざるをえなくなるわけだから、それも重荷にもなる。まあそうなったらそういう縁だったとして受け入れる以外ない。
  • あとはまあ、J さんは独自語がわりと刺激的だからなあ。「ぶん殴る」とか「ぶっ掛ける」みたいな。「このひと「ぶ」が好きだな」みたいな。たぶん「(レコードを)Dig る」的な用語感覚を自分なりにカスタマイズしたアレなんだろうけど。そういう「ぶん」とか「ぶっ」とかいう強調表現に酔ってるような部分はあると思う。言い方はアレだけど「言いっぱなすことで満足を得る」みたいな対処法。SBM のタグ付けとかで、これに似た対処法を適用してるひとは多そう。
  • ネットと暮らしの違いは大きい。つまり、暮らし(オフ)においては、相手を観測し、言及するためには、相手から観測される、言及される距離に近付かねばならないが、ネット(オン)においては、必ずしもそうではない、世界中のひととかなり等しく遣り取りを行える環境、つまり「距離」を曖昧にする技術だから。たちあがってくるのは速度とかより言語の壁という。
    • そういうネットの特性は、暮らしの特性に対して、「それが暮らしの特性と違うから(暮らしの特性を仮想的に適用すべきだから)」という理由で、必ずしも抑圧されるべきではないだろうなーと思いる。具体的には比喩表現あたりから暮らしの感覚はネットに持ち込まれやすい。「ホームページは家のようなもの」とか。「空気」に関する諸問題は、暮らしの特性とネットの特性を混ぜこぜにしてしまっているのでより一層扱いが面倒にもなった。
    • …という考えのうえでは、「言及するが、縁を引き受け(たく)ない」という一方通行は、卑近には、あんまりいい状況を作ってないようにも思うけど、でもそれを単純否定はしたくないというか、否定するのは、それこそ無視のように「コストが高い」スタンスだと思っている。そういう態度で一貫性を保つのは、アンテナを広げれば広げるほど難しくなっていく。まあ、それなら一貫性を捨てればいいという話になるんだけど(じっさい、一貫性はネットに持ち込まれた場合に「よくない影響」を振る舞いに対して与える気もするかなーとは思っている)。