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「現在不幸の根拠だと思っていることを幸福の根拠だと思えるように感受性を調整しろ」

ひまつぶしゲームとしてかなりレベル高いもののひとつが自分からの脱出ゲーだ。なんでもいい。固定観念とか。どれほど自由にものを考えているつもりでも固定観念というものは絶対にある。なにかを固定しなければ基準が作れず、基準がないものはつかみどころがなく、自意識はなにかの不在を許さない。感受性次第でどうとでもなってしまうようなものは大したことがない理論でいえば大概のことは逃げる値打ちのないものということになってしまうのだが、まあそこで値打ちだのと勘定をはじめてしまってもむなしい。どうせいつか人類は全滅して知恵も文化も継承されない。たぶんどれほどのエネルギーに対して干渉でき、その痕跡が観測できるか程度の話にまで落ちる。

経験と達成感が厄介で、これに逆うのはむずかしい。達成感とともにある経験を伴っての理解、とかを打ち崩すためには大概外部からの刺激が必要で、しかしそんなのは当たり前だから、内部から打ち崩す方法を探すわけだが、とにかく手強い。よくて膠着か千日手、これはちょっと手のつけようがないと退却することもままある。まあしかしそこいらあたりに対して常勝になりすぎても、たぶん自我がヤバいかんじになってしまうんだろうから、あまり勝てなくてもいいのかと思わなくもないが、しかし負けっぱなしでも口惜しいので、なんとか安定して自力攻略できたいと思うわけだが、結局戦ってるのどっちも自分だしな、勝っても負けてもプラマイゼロで、そういうところですら、それこそ経験や達成感ベースでゲームあそんでいても仕方がないというか、なんというか。

あと「現在不幸の根拠だと思っていることを幸福の根拠だと思えるように感受性を調整しろ」はわりあい簡単で、「現在幸福の根拠だと思っていることを不幸の根拠だと思えるように感受性を調整しろ」は上級。一旦不幸になったあと状態復帰させる必要があるので。まあでも、いつまでも幸福だの不幸だのと手前勝手に難度調整できる問題で遊んでいては頭よくならないよな。脳内ゲーの基本的な問題点はそこだ。どうやっても、考えたいことが考えたくないことや、考えの及ばないことに対して優先してしまうという…以下略。