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ハチミツとクローバー 10 巻

ハチクロ最終巻

数日前に買って来て放置していた。どうにもいやな感覚があったためだ。といっても不快とかそういうことではない。なんとなく重たかった。見たとおり表紙は軽やかなのだが詰まっているものをあまり想像したい気分ではなかった。ただそれもべつにハチクロという漫画自体に対する感情とかではなかった。ハチクロの九巻を読んだあと最終巻を手に取る前に、ハチクロの(かなりネガティブな)感想などを言い合っている女性コミュニティでの議論などをざっと見る機会があって、ハチクロっていうよりもそのハチクロファンのひとたちが現在進行形で抱いている気分の経緯であるとか、その過程であるとかに対して、なるほどなと思ったりしながら相当ドンヨリしてしまったというのが大きい。なにか島尾敏雄「死の棘」を読んだときの感覚にも近かった。真山北海道以降の展開には男オタとしてかなりのロマさを感じてもいたので、この漫画にしてこの読者ありと納得できる部分もありつつ。

例えるとー、そうだな、ゲームの場合でいうと、おれは任天堂社の提供するゲーム環境を、それが最高だとは全然思わないが、それなりのバランス感覚と美点とビジョンを持ったものだと認識していて、しかしそのように優れたビジョンであろうとも、やはり「同じオタとして、ああはなりたくないものだな」と思えるような過剰適応者(←「同じオタ」ではないかもしれないという筋合いで、議論の余地もあるのだが)、まあいはゆる「信者」を生んでしまうことも知っているので、「任天堂のビジョン」と「自分の視界」の距離感を決して誤らないようにすべきだろうなと思っている、というような話か。だいぶ違う話か。まあそのようなアレで、ハチクロ界隈の瘴気が抜けるまで漫画本編は読まないでおこうと思って、ちょっと寝かせていた、というわけだ。あとまあ余談として、そのように不幸なファンを生んでしまうという事実そのものが、そういった作品やビジョンの不完全さを証明しているよなと思うわけだが、一方でまた作品は不完全さを魅力にも変えるものだし(別の一方では商品とは消費者の不完全さを癒すものだろうし)、またビジョンの話でいえば「完全な人間しか作らない完全の環境」などというのは全然リアリティのないアレな話なので以下略。

で、読んだが、ちょっとバランス感覚への意識を強くしすぎていたせいもあって、あまりにツルッと読み終えてしまってちょっと拍子抜けた。ありゃ。なにかいろいろ大事なことを見落とした。やはり極端なものに触れて自分を保ちつづけるための姿勢で、ふつうの漫画を読んではいかんという話だな。この週末にでも、最初から通して再読してみるのがいいだろう。九巻をざっと読んだときに予定した近刊の読み直しも(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20060717#p1)、結局やれていないし。