matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

新しめのガンダム関連

最近、深夜に「機動戦士ガンダム」シリーズの、SEED だか SEED DESTINY だかの、再放送(?)を見ることができている。いつどのチャンネルでやっているのか具体的なスケジュールは知らない。とにかく深夜。平日の夜中に見たこともあれば土日にも見たような覚えが。いや土曜は見たことないかな。あるような。わからん。記憶曖昧。ふつうの深夜アニメだとだいたい 1 時くらいだけど、ガンダムは 3 時台とかにやってるような気がする。その時間帯だと時計をまともに見ないので、正確なところは不明。どのみち TV 番組であるから調べればわかるだろうけど、知らないから知るへの不可逆移動は世の中を味気なくする場合があるので、知っても知らなくてもいいことについては最近慎重に調べるか調べないかを決めるようになった。

回数はそれなりに見てると思うんだけど、毎回追っかけてるわけでもなく、ザッピングして引き当てる関係で途中から見ることが多く、また深夜と早朝の中間でもありボーっと見流す視聴体勢が大半のため、エピソードやキャラクタ相関などほとんど追えてない。一応聞き覚えのある名前や見覚えのある顔は増えてきたけど、いまだに名前と顔はひとつも一致しない(どれがキラでどれがアスランか怪しいレベル)。話も流れとしては認識できておらず、展開されてる状況を上滑りつつ追いかけるのみ(なにとなにがどういう理由で争ってるか理解できてない)。上でも書いたとおり、もっと根本的にいま見ているガンダムが、SEED なのか SEED DESTINY なのかもよくわかってない。まあたぶん SEED DESTINY なんだろうとは思う。キャラクタ同士に因縁が多いし、キャラクタ毎に世代や物語格差があったりとか、初年度作品と考えた場合にはわりと状況が複雑すぎる気がするので。

そんなわけで、キャラクタも話も全然理解せずに新しめのガンダムを眺めているわけだが、これはおもしろいなー。いいアニメだよガンダム SEED(DESTINY?)。見てるとだんだんイライラしてくる、…と書くと悪い印象のようだが違う。このイライラ感は良いし正しい。伝統的なガンオタのひとのような「正しいガンダム」を踏まえての SEED シリーズ批判みたいなのとは全然別だ。おれもオタ相応にひととおりのガンダムは「勉強として」通過してきたと思うけど、そういった伝統に格別の愛着を抱いてはいないし、第一 SEED(DESTINY?)を文脈を踏まえたうえで批判できるような知識がないわけだ、なにしろ世界や物語についてはなにひとつ理解できていないのに等しい状態だから。おれが感じているイライラの素は、だからもっと断片的な、キャラクタの振る舞いであるとか言葉端であるとか、そういう部分についてということになる。で、そこに反応できている己の身体がどうにも愉快だ。オタも歳食ってくると感情線が下衆側に振れて来るものなので、(こう書いては何だが)ふつうアニメ一本見たくらいでは感心こそすれイライラとかできなくなってくる。だがこのガンダムは違う!ちゃんとイライラできてるぞおれが!「あーもうこいつ(キャラクタ)ほんとどうしようもねえな」とか「あー全然わかってないよ、いいからちゃんとひとの話聞けよ死ね」とか「うるせー自分の都合ばっかゴチャゴチャと少しは黙ってろあとすぐキレて殴るな自制しろボケ」みたいな。おれの心の墓場に眠っていたはずの中二の正義感ノンデッド!まだまだ捨てたもんじゃないやれるぜあの頃のように走れるぜいつでも!

まあたぶんもうちょっとちゃんと見てしまうと、いろいろ愚直に突っ込みたくなったりしてつまんなくなっていく気もする。なんかシリアスっぽく戦争までやっているのに意思決定の場に大人が居ないところとか。でもまあこれは、「中二の正義感に基づく世界は、中二以上の世界観を包括した帰結を原理的に産めない」(→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20050413#p1)のだから、中二の正義感同士のコンフリクトこそが主題の本作に、中二以上の精神年齢の人物が存在しないのはとても正しいといえるし。ヒーローユニットがヒーローすぎてつまらんというのもあるか。主要人物の正義感は「すごい能力がある」または「すごいセレブである」によってガチガチに保護されていて(もちろんそれゆえ彼らは世界決定能力を恣にできる)、雑魚と主要キャラの格差が絶望的。でもまあこれも、いままでのガンダムだってニュータイプ卑怯すぎとかオールドタイプマジ嫉妬とかいろいろあったわけだし、今後格差社会に向かっていくのであろう日本の若オタ向けにも、メリケンみたいにビバリーヒルズ青春白書な雰囲気のガンダムがあったっていいじゃんとおもうし。というかそこいらへんについてはもっと SF 的に「そういう社会になるべくしてなったわけです」的にそれなりの筋道をつけた設定をこしらえればいいんだろうし、ガンダムのある世の中とかだったら、実際にあんなふうになるのかもわからんし。あれ、じゃあ問題ないか。あと、これはキツいコンフリクトだなと思いつつも、じゃあおれが仮に今中二だったとしてアニメの中のこいつらよりマシな結論をひねり出すことができるかというと、たぶんできない気がするというか、むしろもっとタチ悪く適当に振り回し振り回されて数年後に「青春だったナァ」とか薄ら寒いこと言い出しそうな気がするので、おれは誰かの中二の正義感を批判できんよなと思った。

あと、なんのかんのありつつも、毎回後半にはきちんとクライマックスっぽく状況が盛り上がってるように見えるのは偉いなと思った。Z の頃は「妹キャラキモいっていうか女キャラ全員 UZEEEEE」、ZZ の頃は「プル SHINEEEE、そしてハマーン KAKKOEEE」、V ガンは「なんだかしらんがとにかく女 KOEEEEEE、カテジナに至っては怖いっていうかむしろ SUGEEEE、カサレリア…」ってかんじでなんのかんのと盛り上がっていたものだ。そういうのとは、SEED(DESTINY?)の盛り上がりは、かなり違う気がするけど。まあいい。どのみちちゃんと見てはいない。あとプラモの出来は本当に素晴らしかった(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20050830#p1)。あーでもこのプラモは、DESTINY じゃないほうの SEED っぽい気もする。どっちだろう。