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感想しない人類

旅行写真 | 060101

TV っていうか DVD なんだけど、ディスクの入れ替えが面倒なので、ただでさえなにをするにも億劫な平日夜に一度ディスク交換を行うと、そのつもりでなくとも以降延々同じのをループ再生することになる。だから Avalon この二日で立て続けに四回見た。寝落ちを含めると五回。でも感想とかが全然ない。ちゃんと画面に注目してはいる。ただ、見ているときにそれを見ているおれが居ることをあまり意識してない。この状態は、忘我の域とかそういうような、なにか素晴らしい体験のことではない。ただ漠然と眺めているかんじ。感想のない作品体験は幸福のひとつだと思う。寿限無「マニー」的原理主義に照らせば、この状態はダ教に取り込まれる一歩手前であり危険ともみえるかもしれないが、そのような段階は既に通過し終えた。なにほどのことがあるか、いやない、なんでもないというよりはなんにもないほうに近い。通勤経路は覚えているが、そこを通る毎日の印象を個別に覚えたりはしないとかそういう。まったく感想しない人類は味気ないが、いちいち感想するというのもまた過剰だ。二十一世紀以降、感想様式の大衆化に伴う変化として、感想の書きやすい作品とそうでない作品とで分類する働きが徐々に顕在化してきて、受け手送り手双方共そこにひきずられているといったあたりのことはわかっているけど(微妙に違うけど関連→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20040802#p2)、いま書いてるのはそういうのとはまた別の筋合いのこと。(そのような世界観上でみれば)Avalon には比較的容易に感想を持ちえるんだけど、だからといって感想的にしかものが見れなくなっているわけではないという、あたりまえの話だ。疲れているときには疲れてるときなりの楽しみ方をすればいい。