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神の視点

空

駅のホームで周囲を見渡したときにたじろいだ。だだっぴろい区切られた並列の細長い空間に大量の人人人。人間多いなー東京。視界内で、よくわからないがたぶん四、五百人くらい。もうちょっと居るか。ホーム全体となるともう把握できない。ドカドカ乗ってドカドカ降りて入れ替わり途切れない。時間帯が時間帯なので子供はほとんど居ない、てことはこれだけの人間のうちのほとんどが(どういう形態であれ)義務教育修了してんだろうなと思うと、社会というもののデカさにまず圧倒される。人間たちは無数の時空のさまざまな経路可能性を代表してそこに立っているのに、それらのほとんどを包括しうる巨大で曖昧な帯というか枠というかそのようなもの。無数の契約と信頼によって連結されているそれは、よくみればやはりバラバラの個でしかない。外側に立つことのむずかしさ。今おれの視界内の人間は日本全国津々浦々どこからでも来ただろう。彼らには彼らの暮らしがあり、住む家なり塒なりがあり、行きつけの店や通勤通学先、行動範囲があるだろう。これだけの数になるとわかりようがない。彼らに関係のある街・土地・道・風景・社会、そういったものを一度に視界に収めることは決してできない。そういうことをするためのメディアとして視覚は適切ではないかもしれない。だが視覚でないとしたら何だ。「データの持ち方」とかか。それ以上のなにかか。

神の視界を想像する。手っ取り早くは無限平面として理解されるだろう。シムシティが正投象図法で描画されていることに納得する。あれは人間の実際に持ちうる視界ではないが、人間にも全知の特別さを理解可能にするための表現として優れている。街がどれほど巨大になろうと、それを表示できるサイズのディスプレイさえあれば理屈のうえでプレイヤはすべての事象を一度に視界に収めることができる。画面表示の時点ですでにプレイヤは、一個の人間を超えた立場を与えられている。おれが駅のホームでイメージのはそうした視界だった。新宿駅から各線に乗って帰るひとたちを追って空間をわたっていき、地表の丸みなどキャンセルしてひたすら直線に縮小されていく東京地図。それならおれにもわかるだろう。

地球は丸い。宇宙から地球を見るとき、日本とブラジルを同時に眺めるのは不可能だ。それは人間の視点にすぎない。神の視点ではない。むかしのひとが世界は平たいお盆みたいな形だと想像したのにはそういう意味もあったのではないかと思う。もしも世界が平たくなかったら、天上に居るはずの神様はそれら全部を一度に眺めることができなくなる。(一神教における)神様はなんでも知っててなんでも見ているはずで、球状世界では説明がむずかしい。その点で OVAジャイアントロボ」の BF 団司令部の描写はまったく秀逸だった。球状の空洞の壁に地球地図を投影し、その中心に立ってすべてを操る。あれなら確かに居ながらにして地表のすべてを眺めることが可能だ。彼らの野望は世界征服、そして世界というのは地球のことだ。彼らが確保した視点は地表に対してのみ特別で、宇宙の外側については、一個のありふれた視点に過ぎない、たとえば月や太陽などに対しては。そして当座のところ、彼らはそれで構わない。そういう世界観をビジュアル一発で表現するいいデザインだったと思う。人間の場合には視野の問題があるので、たとえそのような場に立ったとしても、どのみち見ている反対側の景色は見えないということになるけどまあ。

  • (追記)そういえば映画の X-MEN 2 で出てきた cerebro も地球を内側から投影する機械だったよなと思って検索してる途中でみつけたかっちょいいデスストライクレントゲン画像。プロフェッサー X が cerebro を操るとき、彼は地球地理をどう捉えるんだろうなあ。基本的にあれは心に対するセンサだが、心を関連付ける因子は、やはりほとんどが地表に沿って球状に形成されるのだろうし。空間としての表現のされかたはあるかもしれないと思う。