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RIDGE RACER DS

買った。PS 版初代リッジちっくな画面で N64 版リッジを携帯しましょう、というゲーム。なかなかの出来。PSPRIDGE RACERS」もってるひとは特に遊ぶ必要なし。伝統的なリッジオタなら琴線に触れるところがあるかも。けど味付けはしょうゆじゃなくてソースなのでその点に注意。そこいらへんの詳細は 9bit confusion 参照。

続いて 32bit 年代の家庭用運転ゲーについての個人史観の話になるが、おれの場合 1994 年の 12/03 にリリースされたPS リッジレーサー(初代 PS のローンチタイトルのひとつだった)の家庭用レースゲーにおける役割は、翌年 12/29 に SS 版セガラリーがリリースされた時点で終了したものと考えている。同月には PS で RIGDE RACER REVOLUTION(RRR は 1995/12/03 発売)もリリースされたが、おれにとってそれはリッジの方向を延長しただけのものに過ぎず、拡張されたものではなかった。つまり、リッジレーサーレボリューションはおれにとっての「リッジ plus」であり、セガラリーは強いていえば「リッジ NEXT」だった。おれにとって 94 年末のリッジの家庭進出は喜ぶべき事件だったものの、そこで満足するつもりはなかったので、95 年末に NEXT に進んでリッジを過去のものとした。90 年代中盤、32bit 家庭用ゲーム機は「次世代機」と呼ばれたが、次世代機のゲームのすべてが最初から次世代のゲームだったわけじゃない。32bit 機にシフトしたあと、徐々に次世代ゲームになっていったのだ。研究や研鑚が必要な部分は山ほどあった。それができる新たな土俵として 32bit 機はあったし、それゆえの期待を背負っていた。

脱線したので戻すと、そんなわけで、おれにとってセガラリーリッジレーサーの、ほぼ完全な形での上位互換として現れた。96 年の正月休みはセガラリーだけで潰れたといっていい。それほど新しく、優れて、素晴らしいものだった。一年前のリッジレーサーを踏まえなければ、これほどすんなりおれがセガラリーを理解することはなかったろう。セガラリーがこうなるためにはリッジレーサーがなければならなかったろう(←ゲーセン / 家庭用それぞれの局面においてだ)。だからリッジとセガラリーは横に並べて語るものじゃない。縦につなげて語るものだ。結果から辿れば、セガラリーがリリースされるためにリッジはあったとさえいえる。会社とかプラットフォームの違いとか些細なことだ。ジャンルとはふつうのひとにとって嗜好のことであり陳列棚の違いだが、オタにとっては流れ自体であり文脈だからだ。オタは差分を読むことで時代視を得る。この瞬間の世界観についても同じこと。ゲーム上での車を「レースゲー」としてでなく「運転ゲー」のものと捉えることができた最初のきっかけが、実にセガラリーだった。それは車を題材に扱ったゲームにおいて、レースでありながら、レースでの勝利を得るため(結果)でなく上手に気持ちよく走ること(過程)を願うようになるという、32bit 年代にあった様々な質的変容の、とりわけ大きなひとつだった。

というようなかんじであり、2005 年の現代に、95 年末で役割を終えたと規定しているリッジレーサーの血を(傍流とはいえ)色濃く残している RIDGE RACER DS に、おれがゲーオタとしてのピュアな期待をもって望むことなどは実際のところない。まあ別に楽しむことはできる。タイトル固有の魅力でいえば、上位互換タイトルが現れたとしてもそれが消えてなくなることはないわけだし。リッジ DS もふつうにおもしろい。リッジっぽいかんじで。だが瞬間を楽しむと同時に流れを読むのもオタの性、ただそれだけのためにならわざわざ買わないのだ。おわかりだろう。NDS 上でここまでの完成度で PS リッジが再現されていることを確認した。ということは、おれがその事実を踏まえて期待するのは当然「これ以上の完成度で、しかも今から一年以内に SS セガラリーが DS に移植されること」だ。

さあ出せ。いますぐとは言わないが今年のクリスマスシーズンまでには。おれはセガラリー(1)に飢えている。