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ニート・カジテツ・星里もちる

都立大

働いたら負けかなと思ってる」でゆうめいな、働く気のない無業者であるところの "ニート" について、興味深い記事があった。

それで思ったのだが、そもそもニートってこれまで家事手伝い、俗に言う「カジテツ」って呼ばれていた女性の生き方と同じじゃねーのか。あるいは「仕事もせず学校にも行かず職業訓練もしていない」って、それ専業主婦のことじゃねーの?そういえば女性のニートって、今まで聞いたことないし。

あー、なるほどなるほど。そういわれてみればそうかもな。あとニートは「Not in Employment, Education or Training」の略らしいので、じゃあ労働者と学生と求職者はイートなのかな。とか思いながら、年代と性別と労働絡みの話といえば、先日聞きに行った(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20041031#p2)都立大の対談&トークセッション「バックラッシュ男性学」の話は、ニート問題ともつながってそうだな。

べつに同列の問題というわけではなかろうけども、似た筋道を各世界観(地理)上で走らせると取り上げられる現象がちがいつつも、ひっくるめて立体視すれば整合性は取れてるかんじというか。いっといてよかったなあ。

  • 「これからは社会を支える人材が足りなくなっていくので、女の人にも働いてもらわないと、男だけじゃ手が足りないです」(by 社会)
  • フェミニズム各論」(by いろんなフェミニズムのひと)
  • 「女性管理職の比率が上がる関係で、相対的に若手男労働者のモチベーションは今後落ちるかもよ」(by shintakkin氏)
  • 「ばかやろう育児は大事なので女は家庭・男は仕事でいいんだよ。自治体と企業は専業主婦と家庭もち男のバックアップを強化しろ」(by バックラッシュ
    • 「特定のライフスタイルだけに福祉が集中するのはなんとなくズルいよ」(by 立ち位置系
    • 「日本は先進国の中では比較的主婦を保護してこなかった国だよ。そこは企業が役割分担してきた。でも最近は企業がヘトヘトなのでがんばれないよ」(by 社会学
  • 「女ばかりじゃなくて、男にも家事手伝いやらせろよ」(by ニート
    • 「働け」(by おっさん)
    • 「気持ちはわかるし原因は社会」(by 識者)
    • カジテツ舐めんな」(by 家事は大変だよ派)

正解か誤解かは知らんけども、おれの場合はなんとなくこんな理解になる。以下乱暴に一行長文まとめ。人口減って社会で働く人材が足りなくなる関係で、男主導で仕事とお金を分配してきた現状は崩れていくので、女のひとにもどんどん仕事師側に回っていってもらわないと困ったことになる、ので今後は専業主婦支援策が減少し、女性は働いたほうが暮らしやすいよう制度的に修正がかかっていく、とかそういうのもありつつ当座は女性管理職が優遇される状況が続き、若手男はがんばっても報われない空気になり、といってもそれらはこれまでの男優遇(というか男をキーにして諸々分配する方式)状態をある程度男女均衡へ向けていく揺り返しなのだが、一方その頃そうした社会体制の変容に伴うおっさん層からの反動(バックラッシュ)も起きるし、外から見てるぶんにはジャンルひとまとめだけど内部では対立も激しいフェミニストのひとたちも各自各様の気勢を上げ、女性の社会進出がありなら逆に男性の家庭進出もあっていいのでは?というあたりからニートが肯定されてくると。

ニートとか家事手伝いとかいってると、星里もちる「いきばた主夫ランブル」を思い出すな。たしか単行本は 89 年頃だ。少年キャプテンコミックス(SC)だったからいま絶版か。復刊ドットコムにあった(http://www.fukkan.com/vote.php3?no=12050)ので買えるか。もしくは 80〜90 年代カルチャーの死霊が毎夜の盆踊りに興じているという、BOOK OFF あたりを掘り返せば出てくるかも。思えばあの頃も「女が会社で男は家庭」みたいなモデルが提出されていた。十年くらい前だったと思うがシュワルツェネッガー氏が出産する映画とかもあったよな。あれはべつにそういうテーマの話ではなかったかもしれないけど。

で、さらに脱線して漫画オタ話になるが、星里もちる氏については「気がついたら有名になっていたひと」という印象で、あまりどこでブレイクしたか覚えてないが、やはり印象が強いのは「りびんぐゲーム」の以前と以降だったろうか。そして星里もちる氏から連想する漫画家といえば、絵柄からなら新田真子氏あたりにいきそうなところかもしれないが、おれ的には素直に高橋しん氏になる。高橋氏には「いいひと。」によってポスト星里氏として脚光を浴びたひとという印象があった。そして高橋しん氏といえば「最終兵器彼女」だ。あんままともに読んでないのであれだが、しかし最終兵器彼女を読みながらでもおれはやはり星里もちる氏の漫画のことを反復連想したものだった。つまり「高橋氏はポスト星里氏と目された時期があり、そしておれの目から高橋氏が星里氏に漫画力で及んだとは思わなかったが、しかしまあなんというか両氏は同じまたは近いフィールドから漫画を発しているのではないかという認識があり、しかしやはりそれぞれに個性があり、どちらがよいかはさておいて(←おれは星里氏の漫画のほうが好きだが)、では星里氏が最終兵器彼女を描いたとしたなら、漫画としての最終兵器彼女はどうなったか」ということだ。無理矢理整理するとこうなる→「りびんぐゲーム」の氷山一角(ひやまいずみ)が最終兵器だったなら?

とくに無理なく想像可能だ。まあ脳内妄想は都合の悪いものを想定するのが困難なので大抵うまくいくことになってるのだが。ギャルがヤバい能力を持っている存在というテーマなら「危険がウォーキング」などもあることだし、むしろ星里氏の得意分野ということになるかもしれない。

基調はそれほどかわらない。掛け合いや呼吸は個人差が出る。そしてストーリーの展開はまったく違うものになるだろう。中盤以降はもう全然別ものになるだろうから、シチュエーションに作家性を接木しても無意味になりそう。高橋氏の世界であれ星里氏の世界であれ、世間の口当たりはやわらかく、細部にはやさしささえ宿り、しかし残酷なところは容赦なく、しかし高橋氏のキャラクタが絶望するところで、星里氏のキャラクタは絶望しないと思う。星里氏が最終兵器彼女を描けば、すくなくとも人類は全滅せず、オチもあんなふうではないと思う。最終巻になっても世界はなんとか日常を保っているのではないか。星里氏はキャラクタに絶望する余地を与えないと思う。愚かしく強いということだ。そのように描けばそのようになる。それが漫画だ。考えようによってそれこそ一番残酷だが、しかし残酷でも生きていくこと自体の残酷さは、非常にわかりやすい芸能になりうる。個人間の問題と捉える限りにおいて愛はとりあえず死ぬまで続いてれば百点満点なのであり、べつに永遠でなくとも困るやつは居ない。愛を社会問題と捉えることで、永遠でなければ困るという視点ができるのかもしれない。いや社会じゃなくてセカイなのかもしれないが。

状況は流動的なのだが個人の力で対するにはやはり確固としているとしかいいようがなく、世界は有限ではないが個人が有限である以上世界は有限と表現することのほうが適正で、そして変容する社会に対して柔軟性はありつつも変わりたくない心も持ち合わせる人間が、どのように適応してゆくのか、というのが、星里もちる氏の作品にあるおもしろさだと思う。いざこざや摩擦やストレス、融通のきかないものと融通のきくものの組み合わせ、自我とコミュニティ、対人、対社会。けっきょくそこにあるものを使って人間はしあわせになるしかない。妥協や折り合いと解釈できる場合もあるかもしれないが、なるべくそれぞれが思ったとおりのことをしながら丸く収まっていけるような形状へ、社会が変わっていくことだってできるはず、という柔軟性が感じられる。現実のひどさと、それは相反していない。