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シリーズ SPAM vs 人類 - 酷牛 STRIKES BACK

再来。

  • 件名:酷牛って何?

ネット系出会いでほいほい来る奴で一番参るのが酷牛。
今回は酷牛メールの見分け方、万が一遭遇してしまった場合の回避策等等盛り沢山!
http://xxxxxxxxx.com/xxx/

Goo メールリニューアル前に届いていた。ああ黒旋風の。それは鉄牛。

…とか伝統的なオタっぽくリアクションなどしてはいけない。「ネット系出会いでほいほい来る奴で一番参るのが酷牛」とかそんなのは挑発語であってコピーだ。今年の流行はこれとかマストアイテムがどうだとかいう手合い。流行はそれを必要とする人間によって作られ、それがあったほうが都合のいい人間に支持される。おれはべつにそれ要らない。無視がいちばん。SPAM フィルタでしあわせ近未来。だがオタはやすやすと挑発に乗る。おれが一番参るのが酷牛であるかそうでないかを決めるのはおれであっておまえじゃない。その程度の仕掛けで回線の向こう側まで世界観を通せると思うかこの野郎。野郎ではないのかもしれないが、性別さえないかもしれないが、スクリプトかもしれないが、もちろんそんなことおれの知ったことじゃない。

SPAM は無視が一番ってのは「ネタにマジレスかっこわるい」と同じ理屈だ。ネタにマジレスしてはならないのは、そのネタはネタであるがゆえにカスタマイズへの意思に乏しく、ネタを投げかけるものは投げかける相手を(そこに誰かが居るというところまでは見ているが、そこに居るのが誰であるかまでは)見ていないのと同じで、だからマジレスのような、確立した人間(信頼)関係上でしか対価を得られないようなリスクの高いリアクションを返すのは愚かだからだ、てことはつまり、この文脈でいうネタというのはテンプレとかコピペとか引用とかを使ったパターンワークのことだとわかる。言い換えれば、ネタの語源は芸人語のそれであって鮮度や新味も不可欠の要素であったのではないかと思うが(←吉本新喜劇のようなバリエーションも含んでいる関西系の笑いでなら説明できるのかもしれない)この場合のネタという言葉が指すものにそれはなく、そしてマジレスというのは鮮度の塊なので釣り合わないという話。ネタにはネタで十分であり、定型文に対しては定型文で十分であると。とかまあそこいらへんはあまり重要じゃない。ともかく君子危うきに近寄らず。無視が上等の選択。だがこれがオタとなれば話は別で、マジレスも可となる。なぜならオタはたとえ相手が誰であれ、さらに一歩すすめてなんであれ、マジレスするものだからだ。自アンのなぜオタ箱も「なぜオタは常にマジレスですか?」と言っている。これは「ネタにマジレスかっこわるい」派とまったく逆の立場のようだが、対応の仕方こそ違えど同じ部分を問題に感じているという点については、合意できるところもあるとおもう、まあそこもあんま重要じゃないので話を進める。

ふつうのひとがネタにマジレスしないのは、それが無駄で、傍からみれば馬鹿みたいだからだ。そこに人間同士の信頼関係は存在せず、ゆえに一方的な、ネタやそれに対する無視こそふさわしい殺伐の場であると。表面だけうすっぺらく切り取ったような、人間いっこぶんの質量をもっていない相手に対していちいち反応して時間使うのは馬鹿だと。もうこの時点でだいぶ説明になっていると思うが、つまり、オタは相手が人間でなくともこちらが人間として振舞うことに慣れているので、オタにとってネタにマジレスはとりたてて馬鹿らしくない。漫画宇宙に棲息する二次元生命体はうすっぺらい。ゲーム宇宙に棲息する美少女たちの会話や思考はパターンワークだ。嗜好消耗品であり、ネタにすぎないものにだって情動することができることを知っており、やっている。ネタにマジレスは、普段からやっているそうしたこととまったく同じことなのだ。どっちでもどうでもいい。知ったことじゃない。いちいち相手みて対応変えるほうがむしろめんどくさい。

オタの場合、逆に「ネタでもマジでも対応を変えないというのは、マジだった場合に相手をネタと同等に扱ってるってことになるのでは?」などといった困った状況に陥ってしまう危険がある。いやそんなべつに人格を軽んじているわけでは。