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MIND GAME

MIND GAME

おもしろかった!!!!!!!!(←8個)

よくわからなかった!!!!!!!!(←8個)

というくらい一見の価値のある映画だった。合わないひとには全然あわなそう。怒っちゃうひとも居るのかも。いや気にすることではないか。誰も怒らないよこのアニメ。みんなだいじょうぶ。共通言語。ただアクロバティック。いや直球。人文字で「花」か花文字で「人」かどっちか。ひさしぶりになんかへんなおれの知らないなにかを見た気がした。おれと関係ないから知らないわけじゃなくて、おれと関係したかもしれない程度に近いところにあるおれの知らないものというか、つまり、似たようなメシ食って似たような水飲んでても、おれのぜんぜん知ったことじゃねえものの見え方を享受しているひとはやっぱり居るのだなあという安心。いやーこれはすごい。休日ヒキコモリの癖を叩き伏せて外出した甲斐があったというものです。おれの場合は前述のとおり、よくわからなかったからおもしろかったしそれによって安心さえしたんだけど、ひとによっては MIND GAME をよくわかることによっておもしろかったり安心したりすると思う。だから、わかってもわからなくってもだいじょうぶ、または、わかってもわからなくってもだめなのかもしれない。底抜けに大丈夫。

具体的な部分でいうと、見ててキャラクタの感情線が、いかにも感情線でございますよーと描かれることがほとんどないように思えるんだけど、あらわれた行動に関してすごく腑に落ちるかんじが何回かあって、これは新鮮な感覚だった。わかりやすいのはクジラからの脱出をみんなが決意するシーンとか。あれ?と思った次の瞬間こころの奥のあたりから納得成分が分泌されてくるかんじ。いや一瞬前から?アニメと様式以外の部分で呼吸が合うなんてほとんどはじめての経験かもしれない。

映像はすごい。リッチな画面では必ずしもないんだけど、描き手のパワーがスクリーン狭しと溢れて暴れて爆発している、これぞ集団的個人技としてのアニメーションの骨頂といわんばかりの迫力で最初から最後まで。鑑賞中どういうリズムで呼吸してたか思い出せない。A・B・C・D の流れは、起・転・承・ブルルウァーー!(←若本規夫氏の声で)というかんじなのだが、それぞれのスピードでそれぞれにおもしろい仕事がある。こうなってしまっているものに対しては、絵がうまいんですねえええというような感想しか出てこない。しかもあまりマッチョイズムみたいないやらしさを感じない。そこにバランスのよさがあるのか。

話はすごい。なにしろよくわからん。ディテールはあるが重要な気がしない。おれはこの話がよくわからなくてよかった。おれはよくわかんなかったのでたぶんまとも。よくわかったひとはたぶん「おれはよくわかったのでまとも」と思えたことだろう。今回映画感想についておれとだいたい意見の合わない珍映画ファンのSさんと見に行ったのだが、おれもSさんも満足していたのでたぶんオーケー。どっちでもどうでもなんとでもなるようにできてるだろうきっと。あとよくわからんといってもつなぎが無茶苦茶ってことではなく、きちんと流れはわかるんだけどその流れが流れていってけっきょくのところこの流れの目指す先はともかくとしてそれ自体のありようの意義がなんだったのかがよくわからんという意味であって、おいてけぼりを食らうってことではない。青春映画の一種だと思うのだが誰の青春映画かといえば誰のものでもなく、群像劇というわけでもなく、青春自体が主人公の映画なのかもしれない。個人技原作の脳内スケール感の雄大さがここいらへんに出ているのか。

あと観賞後の感覚がおもしろかった。見たの渋谷の最終上映で、劇場出たら夜だったんだけど、駅に向かって坂道くだりながら視界にギュニョーンって黄色とか赤紫の色彩がかぶさって揺れている。うわーなんだこれは、これがラブ&ピースのかけら、修行と葉っぱの果てに見えるというニルヴァーナの、スクリーンに投射された残影なのカーとかおもいながら、やがてゆっくりと通常視界に戻った。五分弱のふしぎ体験。あれを味わうためだけにでも、なるべくこのアニメは劇場で見たほうがいい。この映画についての映画館の役割の要点は、映画が終わったすぐあとにいきなり街中に放り出されるのがいい。「劇場を出て繁華街を抜けて家路につくあいだの時間」は、ホームシアターとか導入したところで確保できないから。