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ネットと○○問題

昨年くらいから、ずっと「ネット」の対義語についての悩みを抱えていた。

ネット上にあるおれの生活と、それ以外のおれの生活は、いずれかなりのレベルまで溶け合うことになるだろうが、とはいえ現段階ではまだそこまで混合しているわけではなく、つまり、まだまだネットごしに伝え伝わる情報の質量は、まだまだ認知しうるさまざまの情報の中では「かんたんな部類」でしかないが、それでも看過しうる質量というわけには徐々にいかなくなりつつあって、つまり、過渡的に「ネットと○○」を区別する単語を脳内策定する必要が出てきているのだが、その○○にどう名づければよいのかが、意外とむずかしかった。

さくっと思いつくのは「ネットと現実」なのだが、これは即決でダメ。ネットは、現実の一部なので、対義語とならない。「生活」もアウトだろう。おれの生活動はネットを含んでしまっている。というか、ネットがそこに対して侵食してきたから、改めて決める必要が出てきているのであり、そういう考え方では決められない。状況はけっこうシリアスなのだ。

ネット社会に対する実社会。アウト。メールや ftp などを欠くとおれがおまんまをいただくうえで支障がある。実生活。だいたい「実」なるものは案外厳密なものであって、「ネットやってる時間」は自動的に計上されているんだから問題が一緒。同様に趣味的なもの←→それ以外のもの、という括りでも解決できない。趣味的なものもそれ以外のものも、どちらも双方に含まれている。あーもうそんなこと考えてると、趣味の、そのまた一部だけにネットを限定できた時代はラクだったのだなあ。

そもそもいはゆるネットワーク社会というものは、もともとが実社会上にあったものが、いはゆる電網にも広がったというだけの話で(ひととひとがつながってその中間に社会という概念状のものが曖昧に形成されていく)、電網上のそれは多少そのつながりかたが特徴的になっているのでユニークにも思えるが、それはネットが(電網の)郷に入ったので郷に従っているというだけの話で、「ネット」そのものに由来する特徴とはいえない。

「有線」(ネット)と、「無線」または「空気」てのは惜しいところまではいってた。ケーブルによってつながっていくぼくらに対してケーブルを介さずまたは互いを空気で隔てて形成されてゆく社会。無線が専門的またはオタックまたは特定区域内のサービスなどに限定された(つまりそれがおれに無関係だと言い張れる)時代だったならまだよかったが、携帯電話やモバイル端末などの要求によって街中をエロ画像がぶっ飛んでいく現代社会には遅すぎた言葉だ。

結局、「ネットとネット以外」しかないのか?というのが、1月くらい(だったとおもう)に暫定的に出した結論だったのだが、2月に入ったくらいにいい言葉に思い当たった。「暮らし」だ。ネットもネット以外もどちらも社会であるのには違いなく、それによって区別するのは不可能とはいわないが無理がある、となればネットにはない社会的特徴を探し出せば「ネット以外」を言い当てることもできるだろう、それが暮らし。すくなくともネット上では、陽は沈まない。毎日太陽を暮らしながら生きるネット以外を指すにはそれがいいと思えた。

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あと、「暮らし」を考えるうえで、かつてテレホーダイ時代の日本ネット社会は、「暮らし」に対する「明かし」と定義することもできたよなと思った。