matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

猟奇的な彼女

猟奇的な彼女

おもしろいとの評判があったし、Sさんもおもしろいと言ってたので結構信用して見始めたんだけども途中の展開でちょっとダレてしまいそうになった、が、終盤までがんばったらあとはおもしろかった。いい映画。1回は見る値打ちがある。
おもしろかったけど手放しではないので手放せなかった部分の不満っていうか微妙な点?を列挙。

  • 「笑い」の作り方が若干苦しく感じられた。

文化的にまだ段取りで笑わせようっていう段階から抜けてないかんじっていうか、日本だと萩本欽一氏の笑いの感覚に近い気がっていうか(欽ドコ見てるような気分にちょっとなった)。いまどきそれは笑えないよみたいな。べつにおもしろくもない掛け合いを読んでニヤニヤ笑いを返す訓練を積んでるエロゲオタ相手とかならまあいいんだろうけども、映像的な今っぽさがあるだけに、ぱっと見日本人とほとんど区別のつかないひとたちが演じているこの笑いの笑えなさ(がOKとして通っていること)に異文化感を覚えた。
いずれ洗練されていけば韓国映画の笑いからも段取りっぽさが抜けていくんだろうか。むー、しかし笑いの感覚なんてそれこそ国民性に寄っちゃうものなんだしよくわからんのだよな。近隣だと香港産カンフー映画の笑いとかも時代を問わず延々段取りだし。大陸に住んでると地続きで異民族がドカドカ居るから「わりと根っこが違っても意味はわかる」程度以上に伸ばすのってむつかしそう。ていうか島国日本の邦画にしたって「映画的な笑い」とカテゴライズしてそういう空気残ってるような気もしなくはないような。ならそれは映画様式自体の問題であってそれ以外ではないか。

  • 序盤〜中盤にかけての中だるみ。

演出のテンポの問題と思う。まんべんなくじっくり見せすぎっていうか。でもこれも実はどうなのかよくわからん。ひとつにはこの作品が青春映画っていうか恋愛映画っていうかそのようなものであることと、もうひとつには(またしても)これが日本の映画ではないこと。
恋愛をひとつの主題とする映画というのはようするに「スクリーン上の、おれと関係ない他人同士が延々イチャイチャしているのを眺める時間」というものを多量に含み、そんでもって他人ののろけ話を延々聞かされるのは鬱陶しいわけだから、恋愛映画はジャンル的に中だるみを宿命付けられているようなもんだから多少しょうがない面があるだろうっていうこと。そういう鬱陶しい時間をじっくりと見せないことには表現できない(自然に納得させるに足りない)ような微妙な心の交差っていうものはあるだろうし。
で、それはそれとして本作は韓国人の撮った映画だから「韓国的にはこれでちょうどいい」という判断が仮になされていたとしてもおれは日本人だからそれを感覚(判断)することができない。技量や水準以前の文化の問題もありそう。

  • 終盤の「どんでん返し→仕切りなおし」の回数が多すぎてくどいかんじ。

もうちょっと切り替え少なめでスパっとギュっと削って凝縮したほうがさわやかになるような。延長戦ていうだけあってサイクルが短く早いが大展開が多すぎて「またかい」みたいな気分になった(ちょっとした対深読み・先読み用の引っ掛けはおもしろかったけども)。
「ここで矛盾なく詰め込めるすれ違いシチュエーション全部やるぜ」みたいなブレーキの利かなさ加減と感じてしまった。しかも物語上まともに恋愛描写に割ける時間が後半以降のみになってしまったため、特に延長戦はほとんど恋愛映画っぽいカットを連番で並べるためだけのマラソンみたいな状態になってしまっているような。てことは時間配分の問題だろうか?でもこれはこれで作品性と納得しちゃってる部分もあるしで。
最も迷うところは、これだけ短時間集中して二人の想いの交錯を畳み掛けてやったなら、作品がどうのこうのとかではなくて、この映画見に行った男子女子のみなさんは相当ふたりののろけっぷりにあてられて、さぞやいい気分で映画館を出ただろうということだ。デートで彼女と映画館に見に行って、見終わったあとに二人であーだこうだ言ってこそのものであって、骨折して寝込んでるときにひとりでDVDを見た判断が適正であるとは思い難い。つまり、出来云々は二の次として猟奇的な彼女っていう映画はこれでいいんじゃねえのっていうか。ガッデム。
上記3点いずれも(主に2と3について)長所とも短所とも判断し難い。どうなんだ。
どちらかといえば韓国固有の「"ホン"の血統」と理解するほうが自然な気もする。邦画も欧米映画と比べればはるかに湿度の高い画面を作るが、韓国映画は日本のそれと比べてより酸味の強い演出を得意としているようなっていうか。言ってみればJSAやシュリも中だるみの発生やダメ押し度合いとかの特徴が共通している。あれは、ああいうものとして見たほうがよりおもしろさを理解できるような気がする。
-
ところで、なぜ映画界のひとたちは万国共通で女優のゲロシーンが好きですか?
「カルト」とか「芸術」に近いひとほど嘔吐へのこだわりを見せるような気がする、てことはたぶん性的または「フィルム上に立つ肉感」の定番表現か(性器もおならも排泄もダメなら食事とゲップと嘔吐で勝負だみたいな)?とかなんとか、なんとなーく理屈のうえでは幾つか候補を考えつかないでもないけど、直接当人たちから「なぜ嘔吐させるのか」について確かめたことがあるわけでもないのでなんともわからん。確かめなきゃわからんということは、おれ自身が体得したことがないということで、そんな状態では当人たちに確かめたとしても得るものはない。
つーかその理由(つまり映画における女優ゲロの意義)を直感的に受け取れていないおれは、映画作品から本来享受できるなにか醍醐味のようなもののひとつをまったく理解できていないことになるかもしれないなあ。変態性が足りないか、または過剰か。