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「AKIRA」DSR版

AKIRA みてきた。テアトル池袋、劇場としてはけっこう小さいかんじ。スクリーンもちいさめ。ただ、スクリーン位置がけっこう低いので、前列で見ても首はあんまし疲れないんじゃないかなと思った。

売店に金田ジャンが飾ってあった。売ってたのかもしれないけどよく見てない。全身金田コスプレのひととかも居た。おお金田金田。山形いないか山形。まあ金田のひとりくらいは居るのかもなーと思ってたけど、館内にはケイのひとも居てちょっと驚き。カウンタにはレーザー(バッテリつき)も置いてあった。

はじめに DSR 版のプロデューサーのひとが舞台挨拶。DSR 版ということでなにが変わったかとかツラツラ。位置的に前から 8 列目あたりがスイートスポットじゃないかという話。おれはそれなりにいい位置に座ったらしい。「今回編集意図として、お客さんを疲れさせようっていうものがあったので、いい位置で聴いちゃうと、かなりへとへとになるんじゃないですかね」とか言ってた。のぞむところだ。ソース自体が古いものを新しい技術でつなぎ直すのはやっぱたいへんな作業であるらしく、編集がときどきぶったぎりな気もしたけど(←M さんは「台詞のタイミングとかが LD 版とかとは微妙に違う気がする、デジタルになってからそのへんも全部つなぎなおしになってるんじゃないか」とか言ってた)、音自体にはかなり満足したので、あと一回は劇場で見ようと思った。

で、話。

  • さすがの AKIRA。無駄にでかすぎる。若造のアニメ。健康優良不良少年。パワー。ベクトルはどうでもいい。しかし確かな芯がある。感動した。
  • AKIRA は誰の映画であるのか、という捉え方によって随分見方を変えなきゃいかん気がするけども、とりあえずおれの目には金田が主人公に見える。いつだって金田だ。ありがちの腑抜けたアニメと違って AKIRA の金田が主人公として見事であるのは、それは金田にはストーリーに絡む、外からの動機付けがなにひとつないことだ。こいつはほんとはべつにがんばらなくてよかった。鉄雄が事故った時点で AKIRA のストーリーと金田の接点は終わったのだ。それなのに金田はどこまでの関係ないところに首をつっこみ、強引にあるように流れていくストーリーに干渉し、それをしめくくる。それらをすべて自分で決めて、行った。なんておとこらしいやつだ。彼の意思のちからの健全っぷりは、これはもう半端ではない。未来少年コナンのコナンなみに金田は、どこに出してもはずかしくないほど少年漫画の主人公をやっている。
  • 金田はいつでもやめられた。ケイを追っかけなきゃよかった。ラボに潜入する理由はなかった。鉄雄を追いかけなくてよかった。バイクもどうでもよかった。しかし彼は向こう見ずに突っ込む。自分の意思だ。やめられる、やめればいい、でもやめない。むしろ行く。火中に飛び込む。やろうと思ったことをやる。それを行うための理由を探さない。ほかに支えを求めない。運命的とか必然的とか主義主張とか、そういった弁解は金田にはない。
  • そういうのは鉄雄にこそある。事故によって見出され、超能力にひきずられ、鉄雄はストーリーに流され逆らいあがく。彼のちからは大きくなったが、彼は最後まで金田の健全さを手に入れることがない。金田の自由さ、意思、その影で鉄雄はあがく。
  • 金田の決定のシンプルさにほかのすべての複雑さが集約していく。全然まとまってねえけどまとまった気にさせられる。納得とかはする必要がない。とにかくにも、こうやってひとつおはなしが終わってゆくのだ。
  • 昇華っていうのはこうやるのだぜと、画面から叩きつけられるようだ。こうしたお話をしかし、こうおおっぴらにやれるというのは、若造の発想であるのに違いなく、だからこの AKIRA は、若い映画だと思う。88 年の日本には、若いアニメを作れるひとたちが居たのだなあ。