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最近のアニメ - けいおん!!関連

ようやっとケイオン 2 の視聴をぼちぼち開始しようかというところ。今期っつーか今年も見どころのあるアニメが目白押しっぽくて、なかなかたいへんな状況やね。

  • うわっ、校歌とか設定してんのか。やらしー。GAINAX 社作品っぽいいやらしさ(厚塗りディテール感)が増した。このてのリソースは、それ自体がキッチリしたものだから、キッチリ使ってしまうと絵ヅラがやらしくなる問題あるよな。
  • なんか絵のつなぎとか整合性がしっかりしてるかんじなので、時々出てくる「?」て部分の引っかかり感が強めだ。気合入ってないアニメだったら気にもならないんだろうから、なんか損だなこれ。たとえば二話冒頭でマユゲが休み時間に黒板を「真ん中から」消してるところとか。合理的には端から消すんじゃないかな…と気になる。「女子高生は黒板を真ん中から消すんじゃーい!」という女性開発者視点でのジャッジなのかなー。それとも演出とかレイアウトの都合とかが優先された場合、へんなことしてるように見えてしまうのだろうかなー。
  • 修学旅行回の、タクシーから降りるシーンもすげえ引っかかった。
    • 後部左側のドアから降りる律…というシチュエーションは自然なんだが、閉まるときは自動だからいいとして、ドアが開くとき、律が自分で手伸ばして開けて…るように微妙に見えなくもない(あるいは自動で開いてるドアに手を添えてるだけ、か?)。乗り逃げ対策だかで、タクシーて後部座席は勝手にドア開けられないようになってないか普通(まあ安全問題があるから、プラカバーみたいなの外せば自力で開けられるけど)。まあ気のせいかも。
    • 助手席から降りてくる澪もちょっと気になる。タクシー助手席は後部座席と違って一般的にドアを自力で開閉する必要があるけど、開くときどうも自動的に開いてるよーに見えるような…。ドアを開けるとき澪は腕を車外に出してないのでかなり不自然。閉じるときも、澪は降車したそのままの流れで左手を使ってドアを手動で閉めた…ようにも見えて、実際その反動であるかのように澪の体が横に流れるんだけど、ドアをえいっと閉める運動にしては回転要素がなく、なんだか中途半端な気がするんだよね。「このタクシーは助手席も自動開閉式で、澪は自動で閉まるドアに当たらないよう体を左に逃がしただけ」と考えるほうが合理的かもだ。
    • で、いちばん問題なのは「おそらくは後部座席右側から車道側に降車してボサッと突っ立ってる唯とマユゲ」だ。タクシー乗ったとき、後部座席は何人居ようが左側から降りんか普通。右側のドア開けたら車道側に出ちゃうので、まず運転手がやらせたがらんと思うんだが。あと降車位置も気になる、唯ではなくマユゲのほう、「後部座席から降りた」にしては前方すぎる。ドアを開けて、先に右端に座っていたマユゲが降り、続いて真ん中に座っていた唯が降りるから、マユゲは降車場所を空けるために車道沿いに運転席側にスライド…はできないぞ、ドア開いてるんだから前塞がってる、じゃあ先に降りたほうがうしろにズレるという理解のほうが妥当っぽいので、後部座席の座り順は左から「律・マユゲ・唯」で、律が左から降りてるあいだに、唯→マユゲの順に右から降りた、ということになるか。そのうえで、開きっぱなしのドアを閉めるためにマユゲが運転席のほうにわざわざ移動?うーん。
    • 最初は「停車から降車までの時間ロスが演出上全然ないこと(=こいつら金いつ払ってんの?)」も気になったんだけど、ちゃんと見返したら、停まって降りるところまでにカットの切り替えがあるので、演出で省略されてることに気付いてなかったんだと納得した。
    • あと律と澪は降車時に車のサスが沈むんだけど、唯とマユゲについてはサス沈みの描写なくいつのまにか降りている。これもカットの切り替わりがあるから、そこに降車プロセス(に伴うサス沈み)が省略されてるんだろう…と合理化は可能なんだけども、「律と澪が降り切った状態」から間を置いて「唯とマユゲの降車」がスタートなら、じゃあ律が降りてすぐドア閉めずに後部席はやっぱり左側から全員降りろよって話に。ミステリー。
      • アニメ漫画で停車時のサスペンションの沈みが気になるのは士郎正宗氏の功罪。

ぜんぜん合理的じゃないけど一番納得力が高いおれなりの回答は、「タクシーはマユゲが運転して、四人組だけで乗って、運転手は居なかった(つまり助手席・澪:運転席・マユゲ:同左側・律:後部座席右側・唯)。停車してから、まずマユゲが停止地点で待っていたタクシー運転手と入れ替わり、ついでに唯も車道側に降車、運転手がちゃんと座ってから、澪と律が降車した」あたりかな。マユゲの降車位置もサスの沈みもこれで解決…か?

おれとインターネット

いまどきのインターネットは便利なので、わりあいインターネットで何でもできるっていうか、家探しに職探しに恋人との出会い、趣味活動や友達探しに至るまで全部お任せって風潮がある気がしているんだけども、おれは古い人間なので、ネットとかそんなあやふやなもんに自分の日常生活のためのインフラのっけちゃうのはあぶねーだろ、という感覚をいまでも引きずっている。自分の人生いっこぶんをのっけるのには、おれの頃のインターネットはたいへん脆弱だった、という事情がもちろんでかいのだけど。「ネット外の生活インフラでカルマ循環系を維持できないからインターネットへ」みたいな態度というのは、貯金もないのに博打を打つようなもので、なんつーかリスキーさを恐れぬ新時代の旗手やでーというかんじだ。余戯の領域で済ませられるならそれに越したことはない。それに、伝統的なオタクは博打をあまり好まない。

で、貧乏で甲斐性がない我々のようなおっさんオタにとって、共有されうる問題は「友人」ということになっている。暮らしの裕福さや家庭の温かさはそれらと縁のあったラッキーな人間たちだけの話題だから、我々の共有財産になりうるものは、好きな話題が盛り上がっている同時代のシーン群と、そこに居る「同じ話題で盛り上がることのできる友人たち」だけなのだ。

  • おれの場合でも、ICQ で知り合った友人とルームシェアしていた時期があったりとかして、一応インターネットがなかったら結構人生違ったかもなー側の人間ではある。とはいっても、生活インフラの基本的な部分(上京プロセスや職探しなど)はインターネットとか全然関係ない経路で確保してきたし。あんまデジタル人間ではない。長いこと web 日記を書き、それなりに OFF 会などにも参加して、ネット社交的な空間もある程度見てはきたつもりだけど、ああいうのに首突っ込んだらオモシロよりメンドクサのほうが充満して飽きがくる(そして結果的にオモシロからも遠ざかる)のは目に見えていたので、とにかく「好きでいるためにはラクな関係がいちばん良く、そのためには知り合ったひとと利害(損得)関係を作らない」というのがいちばん安全だと思い、そのようにしてきた。おれはおれと関係なく勝手に生きて勝手に死ぬみんなが大好きだ。そして大概の場合、それ以上ではない。
  • …というか、じつは学生時代の二年目以降、おれはほぼすべての期間「共通の趣味を持つ友人とのルームシェア」的な状態で生活しており(シェア相手は時期によって全然違うんだが)、とくに東京では、一人暮らししたこと自体がないのだ。したがって「ネットごしにしか友人がいない」みたいな状態は、考えられんっていうかリスキーすぎだろって印象になる。
  • 「身近に趣味の話ができる友達が居ないからネットで探す」というのは、まあ「隣の部屋に友達居るけど、なんかおもしろいことないかなー」と思ってネットやってる気分とは全然違って、切迫したものがあるのかもしれない。「身近に聞いてくれるひと居ないからネットに書き散らしとこう」ならいいんだけど、「誰かにわかってもらいたい」とか前のめりになると、理解者が現れるまで刻々と微量のダメージが返り続けることになる(Health が尽きるまで待っても現れないかもしれない)。それって気の持ちよう次第でノーダメージにできるんだから損だよなーって思う。が、まあ他人の考え方なんぞおれにはどうしようもない。
  • おれのような事例はちょっと特殊かもしれんが(というか 20 代からこっち、かなり意図的・計画的にそのような暮らしを維持してきたんだが)、まあ気の持ちようの問題として切り分ければ「ネットは知人増やすのに向いてるけど友人作るのにはあんまり向いていない」くらいの気分で触れたほうが、結果的にラクにやれて、且つ案外そこから友人が見つかったりするもんじゃないだろうか。

でもこれから先は、おれもそんな悠長なことを言ってばかりも居られない。人生ままならんものよ。