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インターネットにこだまする シェアを気にするひとの声

マーケットシェアでゲームを語る人々、にかぎらず、好きなものが売れてるか売れていないかを気にする声が、多いのかどうかは要確認だが、とりあえず結構デカいってのがあって、あれはなぜなんだろうと改めて考えてみるメモ。

  • インターネットによって消費者が得た楽しみのうちの二つ。
    • 単に作品を消費するだけでなく、同じ作品を消費している(または消費者として似たような傾向の)横のつながりを得てコミュニケーションすること。
    • コミュニティの盛り上がりが、マーケティングに利用可能な程度に客観的な価値を生む場合があること(価値に紐付けられた情報が網状に持ちつ持たれつすることで、価値と混じり合っていくこと)。
  • なぜシェアが重要なのか?
  • ある作品に関する話題の範囲はマーケットシェアが決める、ということか。
    • 「語りたい」の欲望というより、「語るという表現によって価値に近付きたい」という欲望に近付いて判断すれば、「シェアの小さな話題より、シェアの大きな話題でコミュニケーションを取ったほうが、より大きな(多くの)コミュニティに「アクティブな消費者」として影響を及ぼしうる」みたいな勘定になってんじゃないのか。
    • もうちょっとズラしていえば、シェアの大きな話題から話題へと渡り歩くことで、(インターネットにより獲得した)消費単位としてのプレゼンスを維持しようとする、最適化された無意識なわけか。
  • シェアが範囲を決める話し方を逆算すれば、彼らの話し方は「わかってるやつにだけわかってほしい」型なのだろうとわかる。
    • 「わかってないやつにも届く言葉」ってのはあるはずだし、届かせる方法も存在するけど、そういうコミュニケーションを主体としているひとたちの場合には、相手がわかっていようがいまいが関係ない(相手にあわせてやり方を変えるだけな)ので、シェアの広さは二の次なはずで。シェアをこそ問題にするのは、その範囲内に最適化された言葉を使いたい人間だ。
  • 自分のやり方は変えないけど、その効果範囲が狭いのはイヤだ、となれば、相手に変わってもらうよう仕向けるしかない、というわけで、シェア闘争を演じてなるべく自分のコミュニケーション圏内へ多くのひとを巻き込もうとする、あるいはそのような身振りによって充足を得る、みたいなかんじになるか。
  • …と考えると、彼らのモチベーションて実はずいぶん卑小なんだなーという話になる。ようするに身内トークで盛り上がりたいっていう、ごく当たり前の感情から出発してるってことじゃん。まったくだ。賛成だ。よくわかるよ。でも、その範囲を際限なく拡大させたいと欲望したときに、やたら壮大で個々人の生活の機微みたいなものと無関係な、冷たい数字の話になってしまう。そこんところのギャップが幸福を作り出すとは思えんなー。
    • 「仲間を増やしたい」→「仲間じゃないやつは負け組、と外圧を掛け合う空気ゲーム」、という処理なんではないか、という仮定だな。
  • ただまあ、手前のことばかり考えて生きていたって結局グローバリゼーションは押し寄せてくるんだから、死ぬ直前に気付くようなズボラになるよりは自分たちのほうから攻めていかないとダメなんだ、みたいな社会的外圧もあったりするわけなので、そこにも同情の余地があったりとか。

ゲームエゴイストの憂鬱についても書いときたいが、このあたりはシェア勢とエゴ勢のテリトリーがこんがらがってくるんだよな。紙一重の属性の違いで、両者は似た者同士だと思う。同時代を生きた隣人たちだものな、そりゃ似ていないわけがない。