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K さんと遊んだ

A さんの忘年会で会えなかったので、K さん家に遊びに行くことにして、例によって半日ほど喋って帰った。二人してチェーンスモークしまくって目がシパシパした。多分一人ずつだと大したことないけど K さんとおれが集まると無茶苦茶な勢いで煙草を消費する。あと晩飯を食いに出た中華料理屋のタマゴチャーハンがおいしかった。ああいうチャーハンを出す店がうちの近所にもあればいいけどない。

  • おれはカイル・マクラクラン氏が大好きなんだけど、氏の演じるべき役は 1999 年以降全部キアヌ・リーブス氏に取られてる気がしてならないんだよねーという話をした。まあ普通にマクラクラン氏も歳だろうから、00 年代にアクション俳優はやれんか。でもツインピークスのクーパー捜査官はかっこよかったし、なんといってもヒドゥンのロイド捜査官は最高だった。…そういや FBI 捜査官役が当たってるひとなのな。
    • ヒドゥンは「スーツの男がスタスタ歩きながら銃撃」カッコ EEEEE の初邂逅映画だったのでよく覚えている。あと拳銃の横撃ちもやってたような気がしたけど、それは記憶違いっぽいかなー。また見たい。
  • 「YFX=ヤスタカエフェクト」笑った。
  • MOSAIC.WAV 良いよねーという話をして、この話がわかるひとはすげえ多いはずなんだけど、なかなかそういうひととは MOSAIC.WAV の話はしないのだった。なので珍しいことだった。
    • MOSAIC.WAVパロディウスでありツインビーであり A-JAX なので、オトメディウスの音楽担当じゃないのが不思議なんだよ。でもオトメディウスはイラストレーションに吉崎観音という '人材(←おれ語で「独創的ではないがアレンジ力やセルフプロデュース力など指と頭を駆使して「まともな生き残り」の闘争を実践しているひと」みたいな意味)を起用してるので、そのうえさらに音楽でも MOSAIC.WAV という '人材を起用するのは '' 状態でありイマイチ。誰がいいとか悪いとかでなく状況の不幸だよこれは。したがって、ここは誰か同人フィクサーのひととかが責任をとって MOSAIC 音源でサラマンダベースのポップンパロディウスを作るべきなんだよね。みたいな与太話。
    • まあしかしこれは、「どう聴いてもゲーム音楽の作法で作られている楽曲が、ゲーム音楽以外のジャンルに提供されている」というのが MOSAIC.WAV のおもしろさなんだから、その「どう聴いてもゲーム音楽」な楽曲をゲーム音楽に持ってきたら普通ってことになりはせんかという話もあって複雑。まあグラディウスとかはセルフパロディみたいなグラディウス外伝が十二分におもしろかったりするんだからアリなんじゃねーのという緩い妄想があって以下略。
  • K さんは近年 GAINAX 社作品としてグレンラガン推しでおれはトップ 2 推しという対立があったので喋っておもしろかった。基本的には両者の GAINAX 社作品に対する接触リズム感のズレで、ビートはあんま変わらないかんじだった。
    • K さんにとってトップ 2 がいけてないのはフリクリからの流れでトップ 2 はむしろ後退しているように見えることで、おれはそうではないと思ったし、またおれにとってグレンラガンがいけてないのはトップ 2 のほうに前進があるように見えたんだけど K さんにいわせればそうではない、というあたり。
    • あと用語「ウェルメイド感」に対する態度の話もした。「よくできた」は褒め言葉なんだけど、場が澱んでくるとしばしば「よくできてるんだけど…」と否定的ニュアンスで使われて、ウェルメイドのなにが悪いんじゃという揺り戻しが起きたりする。その点グレンラガンが備えているウェルメイド感はおれにとってかなり扱いに困る代物で、「よくできてる」部分と「よくできてるんだけど」の部分がうまいこと見極められないでいるんだなあと思った。たぶん「GAINAX 社自分語り作品」としてグレンラガンをみるときに、もうちょっと屈託が欲しいと思ってしまうあたりを掘り下げれば答えが出そうだ。
    • ウェルメイドは「ちゃんと作り込まれたものを楽しみたい」という立場において肯定され、それはオタとしてよくわかりつつ、おれには「よくわからんものがあるとうれしい」というようなオリエンタリズムっ気があるので、そこにだけ寄り添うわけにはいかない。んだけど、それがよくわからないものであるというただそれだけの有耶無耶な価値は、「時間をかけて理解したらつまらないものだった」みたいなものを排除できない。だから「面倒だから判断を放り投げてオリエンタリズムに逃げる」みたいなのはヤバくて、そういうふうに使うくらいだったら、最初からよくできてると理解できる作品を消費したほうが多分よい。
  • セガファンには二種類居て、業務用におけるセガ社製品ファンと家庭用のセガ社製品ファン。セガ社はゲーセンではずーっとトップをひた走っているメーカーであり続け、だからゲーセンのセガファンは、それなりに浮き沈みはありつつも、だいたいは幸福なシーンを過ごしており屈託とか無いひと多い。一方家庭用におけるセガ社の歴史は苦闘の連続で、だから家庭用におけるセガファンのマインドは全体的に屈折してる。このマインドのギャップは結構凄くて、同じセガファンでも全然話が合わなかったりする。たぶん他メーカーのファンとのほうがコミュニケーション取りやすいんじゃないだろうか。
    • 主に家庭用のセガファンのマインドは、90 年代以前は雑誌、00 年代以降はネット(っていうかセガ BBS)と、ようするにメディア上で形成されていることから説明や伝播が容易で、多分一般に「セガファン」といえば、家庭用独特の屈託感のイメージのほうが強いんじゃないかと思っている。ただ、あれなんだよねーセガ社はゲーセンでこそいいかんじの会社なわけで、いまいちな部門側のファン心理でイメージが固着してしまってるのはアレだよなと思ったりする、みたいな話をした。

とかなんとか。

非 M の世界

「彼ら以外の私たち」関連(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20070805#p1)で、特になにかまとまったわけではない途中の書き出し。

  • 用語「非モテ」の成立には、特定の「モテ」という集団がまず想定される。「モテ」という具体的なイメージを取っ掛かりにして、「彼ら以外の私たち」として「非モテ」を発明する、という手順。
  • 用語「非コミュ」というのは、第何次かはよくわからないが、ともかく非モテ語りのブームをきっかけに成立したような覚えがある。非モテ派生語ということになるが、非モテとはちょっと成立の仕方が違う。というのは、たぶん非コミュの非の取っ掛かりになる「コミュ」は特定の集団ではなくて、おそらくは「コミュニケーション能力」とか能力の問題になっていること。非モテと同じだったなら、まず「コミュニケーション能力者」を想定し、そこに「彼ら以外の私たち」フィルタをかけて「非・コミュニケーション能力者」としての私たち、という手順で成立するはず。でも用語「非コミュ」はそうではなく、括りの単位が人間でなく能力なので、ぼんやりしている。
    • 集団として「コミュ」が指定されているのは、用語「非コミュ」成立後の文脈であったように思う。つまりそうした流れのうえで想定される「コミュ」は、「非コミュ以外の彼ら」という手順で区分されたか、または後付で非コミュを遡上して「発見された」ことになった、のではないかと思っている。
  • これが「非コミュ」という用語にセンスを感じられない理由のひとつで、ようするに元々の「非コミュ」というのは、用語「非モテ」のキャッチーさに誘発されて、当事なんとなく手癖で発明された泡沫語のひとつでしかなかったんだろうと思っている。似たようなのだったら「非モテ」の非を置き換えて「否モテ」とかなんとか、咄嗟に思いついたりもするだろう。けどそれらは「非モテ」の持つキャッチーさや突破感と並びようもなく退屈で(←いや個人が自分語りとして用いるぶんにはそれで十分なのだが、場に流通させて界隈を形成していくような性能はない、という話)、あとで理論付けでもすれば話は違ってくると思うけど、投げ出すだけなら賞味期限三日ももてばいいところ。
  • にもかかわらず用語「非コミュ」が細々と生き残ってきているという現状は、つまりその用語によって掘り起こされた感情や、またその用語を発するひとたちの想いの強さを表しているのだろうと思えるから、それは多分捨てたもんでもない。でも、やっぱり突破感は無いな。「非モテ」のように、字面を見ただけでなんとなく多くのひとにイメージを喚起させるような力が感じられない。空気感の共有が必要だ。用語に付随して説明が要るようでは、言葉としてやはり弱い。
  • ところで、「モテ」のように特定の集団として具体的に想定される命名でいうと、近年には「スイーツ(笑)」とか「リア充」とかがあった。「スイーツ(笑)」は単に「スイーツ(笑)」として消費されたかんじなので、特にその後の展開などは観測できなかったが、用語「リア充」についてはわりと変化がある気がするなーと思っている。
  • 「モテ」は「彼ら以外の私たち」として「非モテ」を産んだが、「リア充以外の私たち」としての「非リア充」は、散発的には観測されながらも大きな流れを作ることがなかった。対義語として「ネト充」という用語も発明されたりしたようだが、これもいまひとつ。リア充における変化は派生としてではなく、逆流だ。
  • なにが起きたのかというと、当初大学生インターネッターのあいだで、対比しての自虐芸のため、あるいは妬み・そねむ対象として発明された用語「リア充」が、あんまパッとしない生活を送っている(学生であるかどうかを問わない)インターネッター全般からみて叩く対象としての「リア充」に変化したときに、具体的な(≒ゼミにサークルにバイトにと活発に活動し、世の中とうまく接続して学生生活を謳歌している)イメージを持った特定集団としての「リア充」から、(とにかく毎日楽しそうに暮らしてそうなかんじ、みたいな)漠然とした「リア充」へ、対象範囲が拡げられた。いまや用語「リア充」というのは、乱暴にまとめれば「≒非モテ以外の彼ら」ということになっている。
  • ええとー、つまり、「モテ」→「彼ら以外の私たち」→「非モテ」→「私たち以外の彼ら」→「リア充」≒「モテ」、というかんじかなー。用語「モテ」の賞味期限が切れてしまっているかんじなので、現在それはリア充に置き換わってるんじゃないかと思った。