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最近のアニメ - SOUL EATER 関連

以前ざっとした印象を書いているが(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080727#p1)、1 クール分を見終わって 2 クール目に入ったので、また現時点での印象をメモっておく。

  • マカマカは乳がないなあ。
  • ブラックスターはいいやつだ。
  • 設定は特にそういうふうでもないけど絵柄的に犬鼻キャラなので、微妙に亜人萌えのひとの嗜好を刺激してるのかもしれない。
  • やっぱ ED の「アイワナビー」は引っかかる。なにかになりたいものだろうか?
  • このアニメ、今後はちょっと違った展開になっていくんだろうけど、いまのところは年少者に対する年長者の面倒見がよくて、しかもフォローがちゃんとうまくいってるのが特徴。設定として、武器と武器職人が悪の道にはしらないよう厳重に管理されている、という意味もあるんだろうけど、「自由にヤンチャさせているようでいて、親や先生の目はしっかり届いている」という安心感と「なんだよスリルかと思ったらアトラクションかよ」感が抱き合わせになっている。
  • こうした「ガキがヤンチャしてても年上がしっかり見てる」感って、辿っていくとヤンキー漫画だと思うんだよね。たぶん(原作は知らんけどアニメ版の)ソウルイーターの漫画雑誌的空気感は、ジャンプとかサンデーとかでなくマガジン、もっといえばチャンピオンに近い。まあヤンキー漫画だと「先輩-後輩」という関係だけど、ソウルイーターだと「先生(&親)-生徒」という上下関係になってて構図としてはちょっと遠い。けど先生の位置が生徒にだいぶ近くて、「(死武専生の)生活圏を仕切ってる兄貴分たち」ってかんじに描いてあると思うんだよね。直近で読んでるところでいうと高橋ヒロシ氏「クローズ」シリーズとかあのへん。「上にあがったら下の面倒は見るんだよ」という視線への意図というか。ソウルイーターとか好きな小中学生に次読む漫画として勧めるには「ワースト」とか結構いいんじゃないのか。
  • ていうか「親とか先生とか年上の世代はなんにもわかってないし、おれたちの情熱を止められっこないぜ」的な雰囲気が全然ないんだよね。ソウルイーターは、わりと挑発的な背伸びアニメの体裁に思えるんだけど、反攻とか逃走的な構図になってない。年上が強くて正しいうえに、よくわかっている。「なにもわかってないオトナ」は一人も居ない。…ああ、考えてみると NARUTO とかもそうか。て考えるとヤンキーだからマガジン的だとかでなくてファンタスティック職業専門学校だからジャンプ的だって理解でもいいのかな。状況が極端だから、子供の目にも大人のやってることがわかりやすいという。
  • あと K さんが指摘していておもしろかったのが、武器(に変身するキャラクタ)と武器職人キャラクタの関係。主人公格は全部異性ペアで構成されている。マカ(女職人)とソウル(武器男)、ブラックスター(男職人)と椿(武器女)、キッド(男死神)とリズ(武器女)&パティ(武器女)。職人と武器の関係は、シュタイン先生(男職人)とデスサイズ(武器男)が組んだりすることはあったり、べつに必ず異性同士でなければならないということはないようなのだけど、主人公たちは恋愛的な関係に全然ならないのが興味深い。あくまでも対等の相棒というか、危機を乗り越える仲間というか、なんというか、つまりこれ「男女間の友情が結果的に成立している作品」なのだねー。
  • マカは武器の父と職人の母から生まれた娘だったりして、職人と武器が恋愛することは設定としてありうる。けど同時に「マカは父親の男性としてのだらしなさを毛嫌いしている」という設定により、マカがソウルとの恋愛状況に自然と陥ち込んでいくことは回避されている、というあたり周到。ブラックスターと椿については幼稚さと真面目さのすれ違いから恋愛に合致することは当分なさそうだし。死神のキッドも、あいつはまともな恋愛しなさそうなのでこれも安牌と。
  • ただその意図が、恋愛にも発展しうる十分な状況的な揺さぶりを経ても続くほどの強度なのかは不明。いまのところは、単に舵をそっち方向には切らないことによってそうなっているというふうにも見えるしな。ベタには最後に恋愛になって終わり、とかいうオチだって想定はできる、が、これはこのままいったほうが人気が維持されそうな気がしなくもないっていうか。

男女間の友情モノとしてのソウルイーターについて書くべきことはもうちょっとあるんだけど、今回はこのへんで。

モバイル Google Map は便利、だけど GPS はまだ必須ではないかんじ

一昨日(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080903#p1)、昨日(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080904#p3)と EM ONE のモバイル Google Maps が活躍した。鎌倉は全然知らん土地だったので、地図があることで見当をつけることができ、迷いなく歩き回ることができた(特に鶴岡八幡宮から北鎌倉に歩いていくルートは、まあ一本道だから迷うってことはないんだけど、一応地図をみながら確認できたのは心強かったし、鎌倉大仏も位置とか事前確認してなかったので、電車の中で「だいたいあっちか」と調べられたのはよかった)。赤羽のまるます屋は、駅前についた時点で誰も場所知らないことが判明したので調べて、「まるます屋」で検索してすぐにみつかって、迷わなかった。Google Maps 便利。Street View は「あったらおもしろい」レベルだけど、Maps は実用の領域を拡げているよなー。

据え置きの PC とかで地図見るときってあちこち他所の地図を見ることが多いけど、携帯機器で地図を見るときっていうのはほぼ「自分が現在居る場所周辺」の参照に限られる(というか、そういう運用に限定されがち)なので、スタート地点=現在位置を自動的に特定してくれる GPS はあったほうがよいと思ったりするわけなんだけど、でもおれその機能まだ要らんわ、というのも実感としてある。「地図を起動してから現在地を探り当てるまでのストローク数」を省くために GPS があるべき、という意味でいうと、いまのところのおれはそこまで気忙しい運用をしていないので。さらに「道に迷ったり、現在位置がどこかわからなくなったときに GPS があると便利」というのも、微妙に要らん。実地点と地図内位置を紐付ける GPS によって「地図のうえで正しく移動することで、実際に正しく移動できる」という同期が取れているわけなんだけど、そこんところの同期を手動で取るという部分の作業感が嫌いじゃないというより好き。地図だけ見てればいいってのはなんか「ロールプレイ」を「レベルあげ」に堕する行為に近い気がするというかな。目印やランドマークを頼りに「たぶんこのへんでー、目的地はあっちだからー、とりあえずこっちに歩けばオッケー」みたいな使い方をしているときが楽しい。

でもこれおれが殆どの場合趣味用途で Google Maps を見ていることによる感覚なんだよね。探ったり見当をつけたりしながら移動すること自体がエンタテインメントの一部になっているという。GPS はその部分を効率化して味気なくする。移動すること自体への興味の薄い利用シーン、仕事中の移動とかでは無駄なことは一切したくないので GPS 必須という気分になるだろう。