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Photosynth が一般公開

Photosynth

ついに Photosynth が一般ユーザに公開されたー。クライアントをダウンロードして Windows Live ID でログインすれば、これまでデモンストレーションで見ていた処理が、自分で撮った写真で確認できるようになった。といってもサーバがやたら混んでてなかなかアップロードできなかったり、デモンストレーションでみるほどパワフルなバージョンではなかったりもする。けどまあよい。なんにせよ試行錯誤中なのだろう。最高にイカしている Photosynth の一端に、ぎこちなくでも触れることができるようになったというのが、ひとまず嬉しい。


  • テスト(秋葉原駅近くの歩道橋から撮影した写真)。全部がうまいことつながってないけどすげー
  • とにかく間を補完しまくる分量を撮りまくらないと、うまいこと繋がってくれないかんじかな。Hugin で自分で繋げばいーやという目的でパノラマ化用素材写真は撮りまくっているのだけど、そういう目的だと重複をかなり少なく撮るようにしてるので、全自動 or DIE の Photosynth 現行一般向けバージョンには転用しづらいかも。
  • どちらかというと Photosynth のおもしろさは、固定視点「ではない」写真群をひとまとめにリンクさせるという部分だから、パノラマを作成するという気分ではなく、「パノラマでは作成できないへんな空間」の作成を目指すとおもろいだろう。浮動点カメラっていうか。という意味においても、ほぼ定点での撮影になる擬似パノラマ写真より、適当に歩きながらパシャパシャ撮ったような写真のほうがおもしろいだろう。
  • たとえばカニ歩き写真を巻き物状にしちゃうというのは、パノラマでは原理的に出来ない表現だ。あとフィギュアとかをちょっとずつアングル変えて数十枚撮影して、スライドショー表示にすると擬似裸眼立体視ギャラリーっぽくなるかも。
  • Photosynth は自動パノラマ作成サービス、ではない。というより、非定点で撮影した写真群をリンクし、3D 空間に「写真自体」でなく「その撮影地点」をマッピングする技術だ。その遷移は 3D でありながらも非空間的な印象で、ここからなにかを出力するというより、操作しているその画面自体が物語的だ。そこに魅力を感じている。

近所のじいちゃんばあちゃんのサイバーサポート

近所のサイバーじいさんばあさんのカスタマーサポートを半日くらいやった。以前パソコンの調子を見たじいさん(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20061127#p1クラスタつながり。町内のじいさんばあさんが寄り合いみたいな状態になっているところで、ああだこうだと話を聞きながら、パソコンをいじる。誰かの孫だかなんだかの幼年幼女とかが、腕に絡んでしきりに腹ポニョしてきて往生した。暑いのに元気だねー。

  • 別に大したことじゃなく、ハードの点検とかはほとんどやらない。そういうのは「壊れた」「動かない」といって店に持っていくようで(修理できれば修理、できなければ買い替えらしい)、どうでもいい困り事相談が主。「デスクトップに邪魔なアイコンがいっぱいあるのでなんとかしてほしい」とか「このソフトが動かなくなった」とか「プリンタのつなげ方がわからん」とか「時計が狂ってる」とか「HDD の残り容量を知りたい」とか「ローマ字打ちになってしまったのでかな入力に戻してほしい」とか。
  • かな入力問題とかそれで半年ぐらい困っていたりして、うあーこれは自アンの今更箱(正式には「今更恥ずかしくて人に聞けないが、実は知らないこと」箱)の、ものすごい切実版みたいな状態だなーと思ったりした。分かればどうってことがない話なのに、聞く相手がいないからどうしようもないという。彼らの多くはパソコン持ってるけどネットには繋いでいなくて、ほとんどが「多機能ワープロ」的な認識でそれに接している。スタンダロンなコンピュータに、スタンダロンなユーザ、というわけだ。個別の(ほとんどおまじないに近いような)バッドノウハウは大量に溜め込んでいて、これはほとんど科学(PC)に対する接し方というより宗教(仏壇とか)に対する接し方だよなと思ったりもしたが、ともかくそんな状況だから、互いが互いを助け合うこともむずかしい。
  • パソコンに多くを期待していない彼らの要求レベルは、こちらが想定するようなトラブル対応よりはるかに簡単に達成できることが多い(ある程度愚痴を吐き出しただけで、未解決のまま満足してしまうことすらある)。むずかしいのはどちらかといえば、彼らが何に不満を持っているのかをこちらが把握するためのコミュニケーション部分だ。なにせ相手はパソコン知識がほとんどないわけだから、トラブル状況を正確に言語化できるわけがなく、とはいえ彼らなりに言葉を駆使して伝えようとがんばって、かつそこに関係のない話や愚痴がいっぱい混ざってくるので、解読が大変。指示語の中身が言ってる途中で四転五転とか当たり前。基本的に OS やソフトの用語は通じない。「どこそこの駅の近くの店の、担当の〇〇さんに頼んで修理してもらった」みたいな情報はやたら覚えている。箱とかディスク類とかは大事に保存してるんだけど、マニュアルは「重たいから」とかいう理由で捨ててたりする。
  • ありがちなのは「よくわからなくなったので、ガチャガチャやったら動かなくなったけどおれは悪くない」なので、そのひとにとって「パソコンというのは何ができれば十分なのか」を聞き取りつつ、要るもの要らないものの出し入れをする。「ここまでやっとけば後はわかるでしょ」という対処だと絶対にうまくいかないので(HDD の残容量の見方がわからなかったり、ローマ字入力をかな入力に戻せないひと相手なのだ)、ひととおり設定したあと実際そのひとに操作してもらって、思いどおりになっているかどうかを確認してもらう。思うとおりでなければ、なにが違うかを逐次聞いて(「アイコンの位置が気に入らない」とかだったりもする)修正したり、または「なぜこうなっているのか、どうすればいいのか」を説明したりする。かなり噛み砕いて説明するが、たぶんほとんど理解されていない。
  • 操作しているうちにまた「気に入らないんだけど戻し方がわからない」箇所は増えていくのだろうし、継続的なサポートはあったほうがよいのだろうけど、まあ何度かこういう機会を作っていくうちに、仲間内でなんとなく解決できる範囲もひろがっていくだろうと楽観している。もともとこのてのトラブルを町内で解決していたのは、ローカルな「パソコン教室」的なサービスだと思う。マウスの持ち方からはじめましょうみたいな。だけど、いまどき昔ほどそんなの多くはないし、あってもそういう場に出てゆけるフットワークが、近所のじいさんばあさんにはない。だからたぶん、ここは(おれがたまたま散歩で知り合わなければ)一度もサポートされることのない場所だった。こういう場では、正しさの重要度は低い。プロパティだとかドライバだとかどうでもいい。彼らはそんなものの体系的な知識習得など望んでおらず、ただ目の前のパソコンで、自分ができるはずだと思っている作業ができれば満足なのだ。多く知る必要があるのは、やりたいことが増えたときだけで、彼らの興味のひろがりの多くはパソコンを媒介していない。

家事のためには何にも使えない仏壇だって、彼らの役には立っている。けどパソコンが「手に負えないもの」になってしまえば、これは本当にゴミだ。使えてナンボのものだからな。得にならないことをやっているなと思いつつ(作業してる途中で麦茶を三杯もらったけど)、なんとなくデジガジェとか好きな側のオタとして、彼らに「パソコンというのは、あれはそんなにイヤなもんじゃないね」と思っておいてほしいみたいな、願いとかがあったりするのかなあとか考えたりした。もうとっくに年金貰って悠々自適モードに入っている彼らに「次の人生」はたぶんないから、最後のあたりで新しい技術に拒絶されて人生が終わる、みたいなことになってほしくはないというか。