最近のインターネット
- 自分大好きクラスタかつ自信に餓えているひとは「自分がみんなに好かれている状況」を作りたいという欲望を原動力としてコミュニケーションを取る。「自分に優しくしてくれるひとに優しくする」という選択的なネットワーク形成。…というと、なんだかエゴ強めな行動のような書き方になってしまっているけど、それこそがごく一般的な人間関係だと思う。ただオタ的なコミュニケーションの原動力は、それとは別にあると思う。綺麗な書き方になりすぎるのだが、「無邪気で無自覚な一人称、としてのオタク」だ。興味の対象への視線が重点で、その始点となっている存在、カメラの手前側、つまり自分のことにあまり関心がないというか、注意を払わない。もちろん両足で体重を支えて立つのが人間なので、ようはバランスということだけど。
- ネットのひとに言いたいことがとくにない、というのは OFF 会のたびに感じるが、OFF 会に行くモチベーションはそういうところではないと思っているのでべつにいい。
- 出会いの場セッティング困難は、群像劇がモリモリ量産できてしまう程度に人類普遍のテーマだなとしみじみ思う。ひとと話題の二本柱で暇は潰れる。恋愛や友情などの各種ゲームモードも盛りだくさん。それを題材にした UGC だけで巨大市場も回ってる。
- それでいうと、へんな話だけども「たぶんツレが居ないとかなりキツい」と事前になんとなくわかるイベントというのは存在して、そこいらへんで行く行かないの判断ができるようになってくると、だいぶ慣れてきたなーと思う反面、硬直とか停滞が背中に迫っているなーと思う。積み木を積んでまた崩す、というような繰り返しの中で徐々に材料を増やしていかないと、たぶんおもしろくはならない。人間関係は放置しておけば自然とやせ衰えるもので、まあべつに周囲が枯れた川の痕跡まみれになってもそれはそれだと思うのだが、とりあえずどっちの方角を向いていてもいいのでリソースを振り分ける姿勢だけは崩さないほうがよさげ。
- 前世っていうから不穏なのであって、「ループもの」と呼べば大安全大爆発。とかいってたらゲーム的リアリズムとかいう新語が登場。
- ネット距離感関連
- 他人の未熟に引っかかりを覚えるのは、そこに自分の未熟を見ているからであり、それは研鑽を積めば次第に減るはずだが、むしろ増えることもあって、後者の展開になれば、歳と共に成長しているというよりも、緩みが出ているということで、よくない。よくないのだ。
- A についての愚痴日記を延々書いてるひとが「いや俺が愚痴を書いてるのは A を愛しているからこそで」とかいっても、「あー A って依存傾向が強いひとの心性を増幅するアイテムなんだなー」という感想しか浮かばない。
- 世間でオタクの存在が認められて喜んだりオタクが叩かれて憤ったりしているひとを見ると「世間でオタクがヘボかろうがすごかろうが、そんなのはおまえの立ち位置とは関係ないんだよー」といいたくなるが、そういう介入意識も邪魔なわけなので、内々に殺す。
- どういう経路を辿ってもいいが、「…だからおれは(≒のほうが)正しい」という結論を積み重ねて掛け金を釣り上げていく自滅型の思考パターンだけはどうにかしたほうがいいと傍目によく思う。
- 自分が特別だと思った相手から特別だと思ってもらえないことは誰のせいにもできない、とは思うが、この「誰のせいにもできない」が実質的には「≒自分で引き受けざるをえない」になっているので、心を壊すひとが出てくる仕組み。といって「世間が悪い」とかになってもよじれるしなー。いい具合に亜空間に逃す方法としては「妖怪のしわざ」「縁がなかった」「おのれゴルゴム」とかか。ネット以前なら「ニャントロ人のしわざ」「ユダヤの陰謀」とかでもよかったんだろうけど、そこいらへんはネット以降目詰まりを起こしやすいゴミ形成体に異化しやすいので取り扱いが単純でない。
- 「おまえが他人からみておもしろいかどうかは、集団の流れの中で決定されていくもので、おまえ自身がそれを決めたあと他者が追認するというものではないのじゃ」
- なにかを敵だとか思うのは自分の世界観を強烈に固定する思考なのでよくないっつーかやめたほうがいい、けどやってしまうんだろうなー。
- コンプレックスを賛美する手合いが増えると、コンプレックスがないことをコンプレックスにしはじめるひとが出てくる。
STUNTMAN : IGNITION
おもしろい。無駄な時間の使わせ方がうまくてニヤニヤする。本作は大作化の著しい近年洋ゲーの界隈にあって、一応大作っぽさとかのフレーバーも(まあ映画的に)散りばめつつも、べつにそんな方向は最初から目指しておらず、つまり、少ないリソースをチープに見せず(←このゲーム規模で「少ない」とか言っちゃう時代かー、と浸りつつ)、かついかにプレイヤの進捗状況を足踏みさせるかに神経を使っているゲームで、じつによくできている。単にクリアするだけなら、まあ何度かトライすれば抜けられるかんじなんだけど、☆をたくさん取ろうとか、コンボをいっぱい繋ごうと思ったら、そういう意志を待ち構えたレベルデザインがウェルカムマット敷いてスローターハウスにご案内、という按配。延々リトライしてしまい、しかも「あと一回やればできるかも」感がずーっと持続するのでなかなか諦めがつかず、かといって別にクリアできないことがストレス要素かっていうとそうでもなく(だって映画的なド派手シーンのアクションばっかりやってるのでフラストレーションは毎度のプレイでそこそこ抜ける)、気がついたらおんなじステージのリトライだけでなんでこんな時間使ってんだおれは、という状態に。しかもそれでも☆五つ取れてないのでまだまだやんなきゃいけないという。いいねー。こういう手ぐすねの引き方は、好きだね、縁日で型抜きの屋台やってるオヤジ相手にゲームやってるような気分になる。楽しんで無駄にひまをつぶしてるよ。マッシヴ感とか全然ないけど、こういうかんじは忘れがたいもののひとつかもしれない。