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RAINBOW SIX : VEGAS

R6V

レインボーシックス・ラスベガス(商材ビデオっぽい口調で叫ぶ)!

難度 Real で再開しつつメキシコの途中で止まっていた。けどようやく気合いで脱出。このあたりまではそれほど難しいわけでもないので、難度ってよりは気合いの問題だったといえる。で、クリアしたあとになって「そういや難度 Real のメキシコ編てとっくにクリア済だったよ」と思い出す矛盾。いや矛盾ではない。肩慣らしとして役に立った。ともあれ次は CALYPSO CASINO からチャプター選択でいいんですよー、とメモ。

R6V 難度 Real 挑戦の意味は三つあって、

  • もともと R6V の難度 Real は未クリアで、いずれ挑戦する予定だった。
  • COD4 難度 Veteran クリアによって自信がついた。
  • 今年春頃 R6V2 が予定されているのでその予行演習。

で、その二番目の「COD4 難度 Veteran クリアによって自信がついた」については、確かにメキシコあたりをうろついてるぶんには有効なかんじだったね。以前に挑戦したときは「うはーさすが Real きつー」と弾性のない感想だったようなところで「なにくそ、あの地獄をクリアしてきたんだぞおれは」という自負心のようなものが芽生えている。R6V にはカバーリングもあるのだし、落ち着いてやりゃあできるはずだ感というか。いやでもやはり相当な勢いで死んでんだけど。我々が死後コンティニューされる生命体である以上、テロリストとの戦いはいずれ必ず勝利で終わる。あきらめない限り。

Twitter での remove 問題

Twitter は相互リンク文化圏ではないので、誰かを勝手に follow したり remove したりできるし、「相互 follow 状態になっているかどうか」の確認方法もわかりやすくない。というより、follow については「勝手にしか」それができないといってもいい。丁寧なひとの場合には、誰かを remove する際にそのひとに「これこれこういう理由で remove します」と @ メッセージや direct message を送ったりするようだが、これも結局「相手がそれを確実に読むとは限らない」以上、マナーのレベルでは語れない。Twitter における自由さとはまさにそこで、「誰かに宛てた連絡がちゃんと届くとは限らない」の裏返しとして「自分に向けられている情報を全部読んで応答する必要はない」という部分から、風通しがいいと感じるし、気安いメディアとして触れることができている。そのぶん、確実さが必要な場面では使えない。「どっちでもいいとき専用」ってかんじかな。で、web 上にはどっちでもいい場面が圧倒的に多い。

  • どーもなんか「Twitter上での振舞いを拒否されると、自分の全人格を拒否されたように感じるひと」ってけっこう居るのかもしれないと気になっているが(関連→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20071209#p1)、べつに相手は人格を否定しているわけではなく単にアカウントを整理しているだけという。
  • ところで、おれの感覚だが「タッチパネルだと間違って follow ボタンを押してしまう」ことはふつうにあると思う。特に EM ONE で Movatwitter みてるときなど。
  • remove 問題は、結局「一旦 follow したあとの remove 」であることに問題があるのだろうと思う。「持ち上げて落とす」的に解釈されてしまう余地とかがあったりなかったりみたいな。
  • つまり、「remove されて傷付くメンタリティ」は、同様にして彼らが「follow したとき相手が follow を返してくれなかった」場合にも傷付く可能性を示唆している。
  • remove は自分の被 follow 状況を監視していなければ気付かないステータスであるのにもかかわらずそれを主張するひとが居る(follow 状況差分を報告してくれるサービスなどあったら相互監視社会だわな)、ということから、そういう労力を惜しまないひとであれば、当然通知が届く「follow されたかどうか」のチェックはやっていると推測できる。

このへん web1.0 の相互リンク・無断リンクにまつわる感受性に通じる部分がある気がしている。悪い言い方だが、「無断リンクされた!」というときは被害者として強圧的に振る舞い、「相互リンクしてもらえなかった…」というときは弱者として悲しげに振舞うという。それぞれに実際傷つく感受性があるという事情はわかるが、立ち位置として便利に悪用されている面もあるよなという気分もあり。