シリーズ SPAM vs 人類 - SPAM と区別できない人類
再びポツポツと SPAM のまぎれこむようになったおれのメールボックスだが、先日届いたメールについてかなり困惑してしまった。たぶん SPAM だよなあと思うのだが、あまりに内容が当たり障りなさすぎて、これはひょっとしたら縁遠いひとから来たひさびさメールなのかも?という気がしなくもなく、とりあえず返信する気はないにせよ、対 SPAM 措置を取るのはまだ早い気もしつつ。ううむ。おまえは誰か。ひとか SPAM かそれ以外か。「ワイドショーを眺めて育った人間が罪を犯せばその状況はワイドショー的に展開する」と銀次は言った。SPAM を浴びて育った人間は SPAM に似たメールを書くようになるのだろうか。
このように扱いに困る存在は、ひとであろうと SPAM であろうとおれにとっては SPAM と変わらないので、それなら SPAM だと割り切って済ますのがいいのだが、しかしそもそもをいいだせば SPAM は SPAM だからこそ糞なのであって、糞と変わらないからといってひとの可能性がまだあるものも糞扱いしてしまうのは、SPAM のある日常を受け容れすぎていないか。まあそんなこといったってたぶん SPAM なんだけど。深井零は雪風がジャムだと言ったらなんであろうと撃った。だがそのような彼は雪風に捨てられたと感じたときガラクタになった。あれは完全ではない。SPAM フィルタが SPAM だとは言っていなくとも、たぶんこのメールは SPAM なのだろう。おれはどうすれば深井零の二の轍を踏まずに済むか。
ハチミツとクローバーの問題点
あまりに長期間放置しすぎていた問題で、これ以上ほっぽっといたら揮発すると思うので一旦メモ書き出し。七巻(まだ出てないよな?)読むときにでも再考しよう。基本的には http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20040528#p1 の焼き直し。予備段階なのでかなり断定的に読後の主観を書いていることに留意。
羽海野チカ「ハチミツとクローバー」は if 話のためのフックの多い漫画だ。デコボコしてるってことだと思う。賞取るだけのことはある。
- ハチクロは物語時間速のほうが物語展開速より速い。
- 真山のトライアングルとはぐのトライアングルの二柱構造。
- 個々のコンフリクトの集合が、ハチクロにおける「仲良しコミュニティ」。
- コンフリクトの解決は個々になされ、(こうした漫画としては意外なことに)コミュニティが解決に寄与することはない。
- しかし、ハチクロの魅力にコミュニティを挙げる読者が多いのは興味深いところ。
- 本質的な個人主義観に共感した?
- また、そのために、季節ごとのイベントで解決するコンフリクト数が常に少ない(1 イベント:1 コンフリクト)。
- 片方のコンフリクトについて語られているとき、もう片方のコンフリクトは保留される。
- コンフリクト数が増えれば増えるほど、ハチクロの「作品内時間」と「コンフリクト解決」のタイムテーブルは後ろにズレ込む。
- ハチクロは物語内時間の進行が早い。逆にいえば物語の展開速度が遅いとも言えるのだが、ほかの作品と比較して単行本一冊あたりのイベント数が目立って少ないということはないので、やはり「イベント数:時間経過」でいったら時間経過の早さが問題といったほうがいいだろう。おれは単行本をまとめ買いして読んだだけなので連載を確認してみなければわからないが、あるいはこの漫画は「連載の実時間と作品内の時間を同期させている」漫画なのかもしれない。
- 人間関係の構図がなかなか推移していかないというか、一応しているのだが、ゆっくりだ。時間だけがどんどん過ぎていく。ハチクロの宇宙では、だいたい単行本 1.5 冊程度で地球が公転軌道を一周する。ソツのない作品であれば、その間・その時期の人間関係にありうるイベントやコンフリクトなどをきちんと提示して消化して、フェイズをシフトするごとに各人の成長度合いがはっきりするのだろうが、ハチクロの場合は時間が早いのでイベントの機会と密度が絶対的に足りない。未消化の要素・関係は取りこぼしてしまうので、それを保留したりリセットしたりしつつフェイズを移ることになるが、次のフェイズもやっぱり時間(枚数)は限られているので、またこぼれる。こうやってなかなかスコーンとキリよくばっちり個々人の関係性や感情が清算されず、ズルズルと後に引きずってしまう。結果、ハチクロにおけるいはゆる "仲良しコミュニティ" は、未消化のテーマやコンフリクトを抱えたまま延々とキャラクタたちをつなぎとめ続けることになる。
- 変化を拒んでいるわけではないのだが、変化が十分でないために、歯切れの悪いモラトリアム感がずっと続いてしまっている。そうなってしまったのはなぜか。または、それを望んでいる者が居るとすればそれは誰か。
- この問題はけっこう深刻で、影響はひととおりではない。人間関係は心象の問題として顕れ、時間進行は社会的な問題として顕れる。ハチクロは大学〜就職の微妙な時期の登場人物がたくさん登場する漫画なので、時間が進行するということは、学年が上がったり卒業したりとキャラクタの社会的立場が自動的に切り替わっていってしまうということでもある。当然「心の未整理が、立場の整理を阻害する」現象が起こる。
- 卒業してしまった真山
- まずなんといってもハチクロの大問題として意識しやすいのは、スタート時点の学年が、真山が四年で竹本が二年であったことだ。大学卒業までの猶予時間が真山に一年、竹本に二年しかない。時間は早い。竹本の順当な卒業時期を考えると、ハチクロというのはもともとは単行本二巻ぶんくらいの物語期間を設計されて開始された漫画なのではないかと推測できる(竹本の大学卒業を一区切りとすると仮定したうえでは)。しかし実情は、六巻まで進んでまだ終わっていない。もつれにもつれ、こじれにこじれて現状ができてるんじゃないかと思える。
- 真山は大学卒業までで解決できなかったのでコンフリクトをひきずったまま社会人になった(そこにあった大人に転換するタイミングを逸した)。
- 留年してしまった竹本
- おそらく竹本は物語の展開が順調に遅れたために留年した。
- あとになってHくんから聞いたのだが、ハチクロって二巻までで一旦終わってるっていうか、版元が変わってるらしい。あーなるほどじゃあ当初の設計ではいちおうそれでばっちりだったってことなのかとちょっと納得した。二巻で終えるつもりだったのなら当初設定は妥当な気がする。
- 再入学した森田
- おそらく余計だ。森田に再入学する動機付けがあったとは思えない。またはキャラ弱体化とも取れる。今後の展開を見据えたダイヤグラム調整なのかもしれない。森田が再入学したのは森田の都合ではなく、作品の事情に見える。竹本-はぐ-森田の三角関係を、すくなくとも対等のプロレスになるまで成熟させるため、つまり竹田とはぐの各個の成熟を作品的に待つ必要があり、かつ森田の立ち位置を保留しつつちょっと弱体化させる必要があったか?
- このままいけば森田は最強のまま取り残され、そして残ることを自らも受け容れる。
- 卒業してしまった真山
四巻で描かれた「青春の塔」は、ハチミツとクローバーそのものであり、あれをぶち壊したのは、作者の真情のひとつであったのかなと思う。そしてアメリカに発つ森田への竹本の「バカヤロー」もまた、竹本を代弁する作者としての真情であったろう。そうしてハチミツとクローバーは四巻以降も続いていくわけである。竹本が自分をみつけたときに、ハチクロも結末、またははじまりを得るだろう。