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ふつう

夏のロケット | ノーライフキング

ふつうの暮らしというものには、ふつうに生まれることとふつうに育つこととふつうに老いることとふつうに死ぬことが含まれている。このうちの、ふつうに死ぬということに対する心構えというものが、必要なんだろうか不要なんだろうかと、十年くらい漠然と考えたり考えなかったりしてきたのだが、やはりそれは考える必要がないなと思った。かなり限定的な状況についてかもしれないが、それはおれがふつうに死ぬことに対して怖れなくてよくなったことと同じだ。おれが死ぬときに「ああ、こんなもんだな」と思って死ぬという想像ができた。若いうちに自分の死を考えるとき、それを極端に恐れなかったり極端に恐れたり、両端のシチュエーションに寄せてしか結論を出せなかった(中間の結論を出しても、事実をそこに沿わせていける自信がなかった)のだが、そういうことは自信とか経験とかと結びつけて考えなくてもいいというか、それをする必要はないという、まあわりとあたりまえの結論に落ち着いても、まあいいだろうと、ようやく思うことができた。