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Wreck-It Ralph

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邦題シュガーラッシュ。みてきた。おもしろかった!ゲーム映画だけど元ネタ探しとかはあんまやらなくていいかんじ。オタ快楽として「元ネタ探し」と「あるある」って別だよなと思った。あと映画館にポスター貼ってあって知ったけど図書館戦争実写映画化してんすな!ウゲー!ゲロゲロ!

以下感想。公開からだいぶ経ってることもあるし、べつにネタバレ隠蔽は薄めでいいか。

  • 公開当時にちょっと盛り上がってた話題だけど、邦題「シュガーラッシュ」は確かにちょっとストーリーとズレてる気がした。テラ戦士 boy のタイトルが「横浜ドリームランド」になってるよーなかんじ。
  • ちょっとまえネットで話題になった短編アニメ「Paperman」が併演だったんすなー。スクリーンで見れてよかった。
  • Disney 社製コンピュータ映画として、とりあえず TRON 押さえとかないといけない気がしたけど、つながりを思いつけない。
  • とにかくヴァネロペがキュートすぎてしぬ。
    • 日本公開だとほぼ日本語吹き替え版しかないっぽい(?)んだけど、英語版の声のほうが好きだ。なんつーの、「ヨッ!アバズレ声!」みたいなかんじ…もえる…。
    • https://www.youtube.com/watch?v=Jh0cBfaT8Kw
    • キュートなキャラにアバズレボイスていう定番が、おれは大好きで、でも国産ものにはあんまりないかんじするのよね。ムーミン谷のスーとか。赤ずきんチャチャのやっこちゃんさんとか。超電磁砲の妹とかもか。あ、新ドラの声ちょう好き。フリクリのハルハラハルコとか元のいいし吹き替えもよかった。探せばけっこうあるな。
  • ヴァネロペは白雪姫でありシンデレラやったんねー。
  • ラルフのモデリングに、ホウレイ線があるのとないのがあって、あるほうのシーンのラルフの疲労感が伝わってきてすごいシンパシー感じた。でもキャラクタデザインのむずかしさみたいなものも感じた。
  • とにかく「からだデカいやつの苦労と悲哀」はこういう路線の映画でしかケアされないので、共感しつつ泣ける。
  • というより、なんかとにかく最近は報われない中年がちょっと報われる話みるとホロホロくる。
  • ラルフが頑張ったわりにそんなに報われてはいない感、「ワープアワープアとして諦めて、セレブがセレブでいられる世界を支える」というアメリ格差社会の肯定路線にも見えるけど、どっちかっつーとアメリカンドリームの否定を経由して「繰り返しの物語としてのビデオゲーム」に安定着陸してるかんじはする。で、たぶんそれはあんまりディズニーっぽくはない(配管工のマリオは姫を救っても王様になるわけじゃないし、フェリックスだって修理したビルすぐまたぶっ壊されて、また修理しないとだし)。というか「変わらない世界のキャラクターたちにも変化はあるが、画面上の帳尻を合わせるためにその変化は人間からは隠蔽されている」はズルいなー、でもそういう描写にこそ、子供の頃はワックワックしてたんだっけなー。とか思った。
    • あと「フィクションで師匠を弟子が師匠と同じベクトルで超えてはいけないのは、子の父越えの問題をねじ曲げてはいけないからだし、また読者は物語を終えたときにまた読者の現実へ帰らなければいけないから」みたいな話を思い出した。もし中年ワープアロリコンを直球で癒す物語になってたらちょっと引いちゃうかもなおれも、というマッチョイズム励起感。
  • ラルフとフェリックスの立場の違いよりは(←フェリックスは美人と結婚できて望みが叶うが、ラルフは元の望みであった役割としての主役にはなれないらへん)、ゲームキャラのプレイヤに対する無関心も深刻で、こっちのほうが「越えられない格差の向こう側への無関心」を強烈に意識させた。マンションの屋上からブラウン管ごしにシュガーラッシュの筐体が見える、という「スクリーンの向こう側への視線」があるのに、そこに日常的に見えているプレイヤを、キャラクタたちは見ようとしない。まぁ人間は単に世界崩壊に関わる設定部分でしか関係ないけどねたしかに。でも「スクリーンの向こう側への視線」というのは観客の「スクリーンの向こう側への視線」と重なる部分だろうから、そこでの無関係や無関心はわりあい深刻なんじゃないか。
    • そこはそれこそ「プログラムとユーザの関係は TRON でやったからもういいやー」ということかもナーとも思ったけど。なんだかんだでちょっと寂しいかんじ。ただ、「ただでさえおれの快楽のために奉仕させているのに、さらにそのうえ視線がないと不満」だとおれが傲慢すぎるなー、みたいな部分もあって複雑。
  • ラルフの抱える悩みは「悪役はイヤだ」と「脇役はイヤだ(=ヒーローになりたい)」の二種類なんだよね。で、ストーリーは中盤まで「悪役ラルフが主役として頑張る」だけど、中盤から先はヴァネロペの悲劇が中心になるので「やっぱりラルフが脇役になっちゃう」という。だから最後「悪役でもいい」もだけど「脇役でもいい」という納得がないと。若干ビシッとこないかんじがある。
    • ラルフをワープアに自縄自縛するモチベーションは、たぶん郷土愛みたいなかんじなんだよね。ラルフが暖かく迎えてもらいたかったのは自分のゲームのマンションの住人たちだし、自分の街でマシに暮らしたいからこそがんばって、ほかのゲームからメダルを持ち帰る、でもそうしたことで郷土がダメになってしまう。ハッピーエンドを迎えたあと「シュガーラッシュで暮らしてもいい」と言われても、(実際自分に冷たくあたった Fix-it Felix JR のキャラクタたちを路頭に迷わせていいなら)それでよしとできもしたはずのところ、結局ラルフは自分のゲームへ帰る。お城で暮らしてもよかったのに。
    • あと「悪役の会」の重たさについて、あれでおれが連想したのってファイトクラブの難病の会とかなんだけど、でも悪役って難病やアル中なんかと違って「なにがどうなっても、絶対にそこから抜け出すことができない属性」なわけで、キツイなーと思ったんだよな。病気や精神疾病ならまだ治る可能性なくはないけど、階層固定化を連想してどうも。
    • コミュニティで認められていないやつが、認められるために頑張ったら、それによってコミュニティ自体がめちゃめちゃになってしまう、というんじゃ認められてないヤツに出口なんかねえじゃん、というふうになってしまう。おそらくふつうにやったら途中で潰えるラルフの方法こそが「正攻法」で、ストーリーが辿るのは「これがスペシャルな映画だから」可能となる空中殺法だ。ラルフは最後コミュニティの中で認められるようになったけど、じゃあ今認められず苦しんでるやつが認められたいと思ったときどうすればいいんだ?という。だからこそ、「君がコミュニティの中で認められていれば、認められていないやつを認めてあげよう」というのがメッセージになっているんじゃないかとは思う。パイを焼いてあげなよ、という…。
  • 「ターボする」に元ネタあるんかな?というのは気になった。最後、ラルフは他所ゲーのキャラを引きこんで「ターボして」ると思うんだけど、あれがよくてターボがよくないのは「あっちのターボはエゴだから」で済ませてええんじゃろか。
    • ヴァネロペのパワーも、あれを肯定していいためには「ヴァネロペはああいう仕様」という納得がプレイヤにないとむつかしいところだわな。ターボはプレイヤに不快な結果しか残さないから悪で、ヴァネロペのパワーはおもしろだから裏技ウルテク禁断の秘技ってかんじでいいのかな。
    • どうにも「これはおもしろかったしラルフもヴァネロペもよかったね!とは手放しに喜べるんだけど、でもこのストーリーが、「ゲーム的に」いいとか悪いとか言っていいのか悪いのかということを整理するためには、グリッチとバグと仕様と不具合とチートと改造 ROM をそれぞれ厳密に定義し区別していきたい」というかんじだ。これは結構厄介。「スト II レインボーっていまとなっては愛されてるゲームと言い得るけど、じゃああれはいいとか悪いとか言えるの?」「スプラッシュマウンテンがノーダメージでもいいの?」みたいな話をサクっとできる状態に、まずならないといけない。ゲーオタの場合「いいも悪いもない、とにかくスト II レインボーはこうして稼働する筐体としてそこにあるんだからプレイするのみ」みたいに行くのが運動神経というものなので…。
  • あと同じく最後にラルフが(不器用ながら)家作ってた気がするんだけど、「壊す」以外のことできちゃってええの?というのが、シナリオ的にちょっと引っかかった。「混乱と破壊以外引き起こさないはずのホットメントスコーラに解決できるものがあったとは…」みたいな感動、破壊しかできないラルフのキャラが、より巨大な暴力へとロボ的に拡張され、しかもそれで誰かを救うことができる、というカタルシスがガラガラっと崩れちゃうような。モノ、作れるのね、みたいな…。
  • ヴァネロペがお姫様でしたー、は強引すぎやろと思うけどディズニーやからねという部分でセルフパロディ的な笑いを誘った、が、「民主主義にする」はちょっとおもしろくないリップサービスに感じた。そこ「格差社会への目配せがあります」ということになっちゃってて、ラルフの「スクリーンの外側への視線があります」というのと似た問題を無駄に孕んでいやしないか。もうちょっと直截的には、マオユウとか MAGI 見たときみたいなゲンナリ感が。
    • 姐軍曹とフェリックスの絡みは、要るのかなーと思ってたけど、ピコキャスでの miyaoka 氏の「最後を結婚式で締めるため」説(http://d.hatena.ne.jp/iandme/20130330/1364672348)がちょうなるほどだった。なるほど、ディズニー社的な事情か。あと姐軍曹のトラウマ(最初の結婚式で闖入したバグにより婚約者を亡くしている)に対する解決が「参列してる軍人が全員バグの闖入を警戒してレーザーサイトをグラスに当てる」になってて素晴らしかった。けどこのシーン劇場でよく見れてなくて、「姐軍曹自身はガトリングガンを持った状態で出席してたっけ?」「レーザーサイトが何かドットで模様を描いてなかったっけ?」らへんを後日再視聴してみたい。
    • というか姐軍曹の「婚約者を結婚式に亡くしている」というトラウマ自体、もしかしたら「ゲームの設定」なんじゃないのかね。プレイヤのために準備されたストーリーとしての。本作で描かれているような「ゲームキャラクタたちにとっての現実」とは別レイヤの。もしそうなら、そこがギャップなく接続されているキャラクタたちの世界認識って(雑な結果として)おもしろみになってるなとも。
    • 結婚式、チビのフェリックスがちゃんとでかい姐軍曹を抱えてチューしてたのでアメリカ男の面目が立った感。

30 年も前の筐体を現役稼働させてくれているアーケードは良心的だが、ファンタジーとしては未来が暗い。これから 30 年後にはじいさん死んじゃってゲーセンもなくなってる。それより前に、(たぶんシュガーラッシュのほうが先に)現役を引退する。…けどいまはいいやそんなことは。ほんとたのしかった。