人狼ゲーム クレイジーフォックス
構成 | 主人公役職 | 拘束具 | (会議)吊り方法 | (人狼)殺害方法 | 備考 |
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村人5/占い師1/霊能者1/狩人1/人狼3/妖狐1 | 妖狐 | 首に自動巻き取り式ワイヤー | 首ワイヤーにより機械絞殺 | 首ワイヤーによる支援 | 留学生登場。 |
- 今回のテーマは一目惚れです。なんだそれ。
- 本作から監督が代わっている。BGM も時々入るようになり、音色もピアノのみではなくなっている。三作目にもなると目覚め→ルール説明→建物探索もスムーズで、継承と改善が感じられる。今回主人公は人狼じゃないのに夜の部パートあり。推理は視聴者の仕事ではないというハッキリした主張。
- 本作から拘束具が、死のピップエレキバンからゴツい首ワイヤーに変更されている。エレキバンは血ブシャーがビジュアル的には良かったけど少々リアリティに欠けるかんじなのと(ていうか二作目終了時にふつうに剥いでたけどあれおかしいよな?!あいつだけおもしろいから特別扱いだったのだろうか…?)、あと処刑時の集団殺人シーンが人狼の襲撃シーンと意味的には被る部分もありつつ(殺したくないけど殺してる感とか)時間的にモタつくから、処刑の残虐さを加えつつテキパキ捌けるって部分で導入されたのかもしれない。
- 「占われて妖狐が死んだ」の勘違い、メチャクチャな状態で殺害されているのにシステムによる死だと勘違いするのはちょっと強引すぎるかなと思うが、まぁ運営が代行殺害してると勘ぐるのかもしれないし、野暮。
- 主人公が「運命のひとと生き残る」とか言うわけだがもちろん不可能だ。妖狐は一人陣営であり、そもそもほかの参加者と生き残ることができない。したがって他陣営の参加者と生き残るというのは「ゲームの枠外へ脱出する」という意味になるが、主人公は全然そんなふうには動かない。だから視聴者としては、最初から「何言ってんだこいつ」と訝しみつつ見るしかない。で、話が進んでいくと一目惚れられ君の「今はバンドとかやってるけど、将来は違うことやってるんだろうな」という台詞に重なっていく。同じだ。信じたいものを信じたいという願いだ。だからそんなものに目を奪われず、惑わされず、縋ろうとせず、荒野をみつめて一貫して真剣に生きなきゃいけませんよというような、作品メッセージに繋がってるんだろうか。でもこんなゲームじゃ「真剣にやったところで死んじゃうじゃん……」て戸惑うばかりだ。
- いや違うな。作品はべつにそんなことを言っていない。何周もしてみたあとには、逆に一目惚れやバンドいいじゃんという含意が伝わってくるようにも感じられる。信じたいものを信じてなにが悪い。それのみが子供の獲られる自由ではないか。子供に子供でいることを許さない不寛容さは何だ。将来とか関係ない。それを子供が言わされるとしたらそんな残酷なことがあるか。
- 「夜、一人が全員縛って、誰も死ななかったら襲撃失敗」作戦、縛られてない一人がなんらかの理由で死んだら翌日誰も部屋から出れなくて投票できず全員死ぬんじゃないか?とか、なんか「雑では?」というかんじがしたな。占い師はちゃんとリモコン持たせて縛ったのかとか、そこらへん描写なかったし。というか主人公の縛りがめちゃくちゃ緩そうに見えて「これ縄抜け容易では」てなったな。実際普通に縄抜けして出てきたやつも居たわけだし。なんだったんだ…みたいな…野暮野暮。
- ビーストサイドから引き続いて物的証拠の発生で人狼が追い込まれてしまう展開。ガバガバととるか揺らぎと取るかは、作品に対してどこまで盲目になれるか試される場面かもしれない。結局それがきっかけになって覚悟が決まり、終盤勝敗が確定したと見えたところから、ゲーム外の感情で転回していく場面にもっていくわけだし、クレイジーフォックスおれ内ランキングで文句なく敢闘賞を取った女人狼の(このシリーズは勝利より生存より敢闘賞がいちばん偉い)、ロジックとキャラがすごい活きてて「おまえムカつく」最高としかいえない。人間だ。おまえらは人間だよ(この映画見る際「人間」は最上級の褒め言葉)。だから OK、全然 OK。
- 「見てんじゃねーよ!」については、中年オタとしてハイ……としかいえることがない。だがおれはここでやめるわけにはいかないんだ。