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最近のインターネット

  • よそオタ A がよそオタ B をナチュラルに見下してるように見えるのはよくあることだし、それは実際には見下してるわけではなかったりするのもよくあることなので(←見下しているときの表現と、たんにその場に居ない人間に対して無神経なだけの表現はかなり違うものだし、まぁインターネットを「場」だと思うのは錯覚なんだが、それをいえばネット上の公開されている範囲のあらゆるところを見ることのできる我々の千里眼感覚だってこれを我々自身正常な神経で処理できているのか疑わしいし、なんともはっきりしない話なので態度保留がベターだろう)、そういうのインターネットで見かけてもべつにいいのではないかなーと思う。
  • なぜなら我々をどこの誰が見下そうと、そいつに我々の価値を決めてもらってるわけじゃないならどうでもいいし、おれが価値を決めてるわけじゃないものについてはナチュラルに無神経なこと言うけどご勘弁願いたい。そのほうが便利だ。つまり「実際に誰かから見下されていた場合にも、そいつがおれにとってどうでもいい人間ならどうでもいい」くらいなので、「誰かから見下されているように見える」くらいのことは、より一層どうでもいいのでは、みたいなかんじ。
  • さらにいえば、旧世紀の陰湿なオタ社交術によれば、オタが好きなケーキ的ななにかである◯◯を馬鹿にするやつが居たとしてもスルー、ただしそいつが後年そしらぬ顔で◯◯界隈に接近してきたときには「それお前にとっては雑巾のはずだけど、おまえ雑巾食うの?」とかネチネチ言うのがフォーマル。で、「うん、おれ雑巾とか結構食うんだよねモシャモシャ」とか返してくるようなやつは越境して帰ってゆくものであるから敬して手出し無用。
  • まぁそんなんだから、往年のオタ社交というのは基本的にギスギスと互いにあてこすってるだけで、ほとんど建設的な方向にはいかなかった。最近は傍目に味気ないなぁと思うこと多い反面、建設的な話も増えてきたような気がする。やっぱ何をきっかけにしてでも対話をはじめることで補助線増やしていったほうが役に立つのか。