matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

劇ヱヴァよりも、パチエヴァのほうがサブカル的にはおもしろいはずだ

おれはあんま劇ヱヴァをおもしろがる空気がよくわからなくて、まあ確かに手間暇かかってるんだろうし見ればおもしろいアニメなのは間違いないんだけど、周囲のオタの「あのエヴァンゲリオンが」的な前提がうまいこと共有できずにちょっと腰が引けている。そういうひとの中には当時熱狂的なファンだったひとが居て、また当時熱狂的なアンチだったひとが居て、または教養としてエヴァンゲリオンを勉強して権威強化のため熱中している現役のひとも居て、まあいろいろなんだがやっぱり君たちの気分がわからんわというか、そんな 10 数年も前のアニメのリメイクを待望するほど現在のアニメは彼らにとって不毛なのだろうかと首をかしげる、だっておもしろいアニメ多いよ近年でも。盛り上がる行為の大切さは知っているし、流れに異議を唱えるつもりはないけど、ただ盛り上がるだけでいいんだったらべつにエヴァでなくてもいいじゃんという気分は常にあって。この「なに食べたい?」「なんでもいい」→「じゃあこの店で」「えー」みたいな違和感って自分では我儘と区別不可能だから、なんともすっきりしない。

一方でエヴァンゲリオンには、この数年展開してきたパチンコシリーズがあって、こっちはエヴァンゲリオン、劇場アニメのほうはヱヴァンゲリヲンと、「エ」と「ヱ」で区別される。オタは基本的に(近年はそうでもないけど)パチンコとかが嫌いなので、エヴァンゲリオンのパチンコ化は言うなれば「汚染されたもの」であって、資金的に独立系のクリーンなヱヴァのほうに立ち位置を取りがちだ。が、オタでなくサブカルとして判断するなら、どう考えてもおもしろいのは、劇場版ヱヴァンゲリヲン本編よりも、ここ数年間のパチンコエヴァンゲリオンを取り巻くシーンのほうなんだよね多分。パチンコのエヴァといえば、パチスロの「北斗の拳」と並んで、どこに行っても知らぬものはないという勢いで、2009 年になってもいまだに稼動している人気シリーズだ。TV 放映や旧劇場版を知らずにパチエヴァで知って原作アニメを TSUTAYA で借りて全部見たとかいまさら謎がわからず当時アニオタだったやつに事情を聞いたとか貞本義行氏による漫画版を読んだみたいな話は山ほどある。おれも電車ん中で貞本エヴァ読んでる白髪まじりのサラリーマンの姿を見たし、定食屋行くとドンキホーテ系のひとたちがエヴァの設定考察などしていて「新世紀やのう」とか思ったこともあった。

というような社会現象をうけてエヴァ専門フロアを設けるパチンコ屋など幾つもあって、毎週どこかのパチンコ屋にアスカが来店し(←「アスカ、来店」とは:宮村優子氏が営業に来るさま)、店内はこれでもかという勢いでエヴァまみれな装飾やポップで埋め尽くされるのだけども、そこにはお店のひとが適当に素材加工して A0 プリンタで引き伸ばし印刷した MAD 壁紙や、なにも考えず極太明朝体市川崑調にあしらった駄洒落や、近所の業者に発注したキャラクタ看板やらノボリやら立体のよくわからないオブジェなどに混じって、TV&旧劇場版当時に濫造されたよくわからん大量のエヴァグッズ(等身大フィギュアから販促ポップ、下敷きだの雑誌付録のポスターだのぬいぐるみだの、果ては賞味期限切れの未開封缶コーヒーまで)が再利用されており、時代新旧入り乱れたライセンス品とバッタもん、許可された二次生産品、どう考えても無許可だが店員さんの愛と気合は伝わってくるなにかなどが混在するカオス状態。おれは基本的なオタクだからあんまパチンコとか好きじゃなくて滅多なことではパチンコ屋に入ることもないのだけど、パチンコ屋のエヴァフロアに踏み入ったときは本当に驚いたし、あんま好きでもないエヴァに対して興奮している自分を発見してさらに驚いたものだった。まさにこれこそがジャンクサブカルの現場なのだと思ったのだよね。

おれは「ヱヴァ」「エヴァ」どちらにもさほど愛着がないし、なによりマメな性格じゃないから、自分では決して出来ないしやらないけど、だからこそ、劇ヱヴァで盛り上がっているいま、パチンコにおけるエヴァシーンを総括する全記録集全集があったら是非それを読みたいと思うよ。データも欲しいし年表も欲しい、イベント記録や、もしかしたら地図とかもあるといいのかもしれない。そうしたものをギュッと圧縮して手元で一覧できるという万能感は百科事典を書斎に死蔵する快楽に近いだろう(「ここに世界が記述されている」という仮想接続感に近い)。それより何より、シーンを作った末端の仕掛け人たちのインタビューや回顧、声の記録が読みたいね。込められている情熱はまったく純粋ではなかろうし、そのシーンに参加してゆくひとたちを多分おれは好きにならないけど、消費されるかどうかもあやふやなまがいもの、絶望せず希望を持たずただ熱量だけが迸る営為、そのおもしろさは自明だ。まあ「興味あるけどよく知らんから手っ取り早く買ってパラパラめくって安心できる本があればいい」ってスタンスは、やっぱりサブカルの態度ではないから、おれはオタク側の人間だなーと思った。

…というようなことを去年あたりから何度か主張しているんだけど、日記には書いていなかったので、この機会にかいとく。