風邪悪化と神に挑むゲームと瀬戸の花嫁
のどの痛みが本格化して、声もだいぶしゃがれてしまった。電脳コイル見すぎだ。こんな声では真言「神作画」を詠唱できないよ。それはそれとしてあの作品中に出てくるメガネをおれにもくれ。暮らしにオーバレイされたふしぎな光景を見せてください。ヨドバシカメラで買えますか。おもちゃフロアで売っていますか。その祖先にあたりそうな、なにもない空間からクリーチャーとか妖精とかをゲットする類のおもちゃなら並んでるんだけど。
だいたい神を安売りするのはいただけんな。神は挑む対象であって宿るものではないとおれの中坊精神が告げている。ププーなぜオタは光の神と闇の神を対峙させますカ?そう二柱とかだよ。まあ十や二十くらいまでならまだよかろう。けどさすがに多すぎだろキリスト教国教化前のローマ時代ですらここまではなかったんじゃないのか。2ch における八百万の神の影響で最近の神は安売りされすぎだ。神作画だの神ゲーだの神速だの神音楽だの新世界の神におれはなるだのかみちゅだの、いやかみちゅは別にいいじゃねえかという話だが、ともかくよく燃える燃料だってんで石油が尽きるまでガンガン掘り続ける猿かおんどれらはほんま。またはシロマサ世界で予見されていそうな大衆化というか。おまーらそうやって神という言葉を消費して無意味化するつもりだろう。そんで無意味になったら次の資源を枯渇するまで消費するんだろう。まあでもそれはあるべきそうした流れであるか。じゃあ別にそれはそれでいいか。世の中そういうものだしな。でもまあしかしやはりこれは言語感覚の話なので正しさとかとは関係なく、どうにもおれとしては、愚地独歩における「0.9」の循環小数を人類とするところの、「1」の拳を神としたいところだな。限りなく近づいても決して到達することがないなにか。いや愚地独歩はその 1 の領域に到達したじゃんという話か。それ漫画だし。なんかねーどういうわけだか絶対に 100 点がとれないようになっているテストで、80 点越えたら神ってことでいいじゃん的なアレはいただけないわけだ。ひどいのになると「おれが感動したから神」とかそんなんだしな。まあでも神秘体験って個人的なものだから、主観に拠って見出す神こそが正しくそれぞれの神であるとも思えるし。やはりなー難儀なところだな。似たようなところでは「天才」と「天才的」の用法の区分などの話もあるが結局これも「神」同様個人的なアレにすぎなくて一般化できないし以下略。
電動コイルで思い出したけどアニメといえば、「瀬戸の花嫁」がいきなり知らない展開になっていて何事かと思ったが、そうか先週放送時間がズレて録画できてなかったんだったっけ。あんま覚えてない。このへんのアニメは見るのラクな反面粛々と消化するのみというか、話飛んでてもまず間違いなく脳内でストーリーの欠損部分を補完できるので、継続視聴体験もそのこと自体以外にあまり意味はないっていうか。青春の打席を後ろ向きにやり過ごすには、三回空振りして帰ってくるのがいちばん手っ取り早いんじゃよねー。あと瀬戸の人魚の音波攻撃エフェクトはたぶんオルバスが元ネタだと思うので CAPCOM「ヴァンパイア」シリーズの、ハンターあたりを遊びたくなる(←セイヴァーになるともう完全についていけないので)。けどどうせまともに操作できないよな当時ですら全然勝てなかったのに、ましてや今となっては。