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アニオタ活動:苺ましまろ

苺ましまろ

おれも近年の萌えアニメをフォローするんだぜーというわけで、しばらくはダメそうなアニメ鑑賞を強化する方針である。まずは「苺ましまろ」をあるだけ見た。何本か抜けがあるっぽい。録画されたタイムスタンプを見ると、07/15 07/22 07/29 08/19 09/02 09/16 09/23 09/30 10/07 10/14 で 10 話、公式(http://www.tbs.co.jp/ichigomashimaro/)を見たところ話数は 12 話だから、2 話抜けてるのか。まぁしかしこのようにオタオタしいアニメを一気に十本も見ることができたというのは喜ばしい。アニメ体力的にいきなりこのスケジュールは厳しいかなと思っていたところだった。「苺ましまろ」は特になにがどうというようなこともなく淡々と時間だけが過ぎていくアニメで、わりあい情報負荷が低いため、アニメ体力低くでも大丈夫とか、そういう話だったかもしれない。

公式サイトを見てわかるとおり、ほとんどの時間帯に幼女とその保護者的存在である女子大生しか登場しない作品で、なんというのか、テレタビーズイリオモテヤマネコのことなどを連想するアニメだ。人間は必要に応じて強くたくましくあさましくいじきたなくなっていくわけだが、天敵や環境の苛酷さのないゆるい世界であれば、相応に愚鈍でかわいらしくあれるのかもしれない、というような気分。ようするに一連の、「げんしけん」における非オタはマイノリティっていうか存在感が薄いとか、「ARIA」には悪人が居ないとか、そういった筋合いの話だ。といっても苺ましまろは、これ系の手法としてはかなり現実寄りで、ようするに彼らの世界の全体にはそれほどおかしな条件設定はないが、単に彼ら以外がフレームインしてくることがほとんどないだけという、そういうやりかた。だからフレーミングを変えれば同じ作品世界同じキャラクタを取り巻く環境にしても、作品に描かれてあるようなものとはまったく違う断面が現れることはありうるはずだ(つまり「リアルな彼ら」が、作品としてはともかく、作品世界内で保証されている可能性がある)。

で、見てるとやはりおれは「ToHeart」でいうと志保、「あずまんが大王」でいうと智のようなかんじの、なんというか「ママの愛情が足りなかった結果としての元気キャラに、もとから馬鹿だったフレーバーを加えたかんじ」みたいなキャラクタに同情する傾向があるので、松岡美羽はかわいそうだなあわかるわかるぞとか思って見ていた。けどおれの場合べつにママの愛情が足りなかったわけではないし、それなりには活発ではあったかと思うけど(むかしからとりあえず自転車で遠乗りすると楽しいひとだった)それをコミュニティに対して発散するというようなタイプでもなかったので、べつに「同情」とかではないか。過去の自分を見ているわけでもない。非対称性だろうか?あと「ママの愛情が足りなかった結果としての元気キャラ」というのは、「ママの愛情に応える元気」とは真逆であることに注意だ。けど第五話「そいね」で、このてのゆるアニメにしては極めてベタなフォロー話とかがあって、なんだか逆に拍子抜けた。ふつうだ。あんま「かわいい」をラッピングするつもりはないってことかなこのアニメ。