最近の読書
古橋秀之「ソリッドファイター 【完全版】」を買った。ぶあつい。鈍器にするのには少々足りないかんじがするけど、ライトノベルというのにはちょっと重たい。購入の経緯を書くと、まあ今日は入荷あるまいと思いつつも、一応 GoW2 難民をやりに秋葉原に行って、案の定無駄足だったのだけど、そのまま手ぶらで帰るのもナンだなと思い、ところで昨日の Twitter タイムラインで「ソリッドファイターアニメイト売り ktkr」という文字列を見た覚えがあったなーと思ったので、池袋に戻ったあとアニメイト本店に寄り道して、見て、あったので買って、帰ってきた、という按配。
通販で手に入れるつもりだったので、ラノベ雑誌を探して買ったりしていたのだけど(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20081019#p3)、そっちは結局手続きが面倒でまだ申し込んでなかったんだよねー。手に入ったので、よしとしよう。問題はこの分厚い本をどこで読むかだ。持ち歩くには嵩張るから、家でということになるけど、家じゃあんま本読まないんだよなー。うう。パラパラ読んでみたところ、おもしろそうだったので、うまいことメシ時とかに目を引っ掛けることができれば、そのまま没頭できるだろう。
なぜ人文系のひとにとっての「ゲーム」は「≒エロゲー」なのか
なぜ人文系のひとにとっての「ゲーム」は「≒エロゲー」なのか…というのは、ようするにオタ側からみた ACT や STG や格ゲーやそのほか全部ひっくるめて、人文系のひとたちの語りのうえで「ゲーム」という単語が出るたびそれらは無視されエロゲーばかりが取り沙汰される、というふうに見えがちの状況に対する反発なのだが、まあそういう反感から出発してなにかまともらしいことをやろうという意気を燃やすひとが今後出るのか出ないのかは置いといて、とりあえずおれの場合には、あんま建設的ななにかには繋がらないだろうことは、オタ界隈で東浩紀氏の名前が挙がるようになって何年も経つのに話題としての前進が特にみられていないことからも明らかだ。という処理はもうだいぶ前に済んでるんだけど、そのへんのことを先日の文化系トークラジオ Life の「失敗」回を聞いてて思い出したのでメモ。
文化系トークラジオ Life の「失敗」回自体の感想としては、いつもと比べて本放送はいまいちだったかなーと思うんだけど、podcast 配信の外伝の内容はおもしろかった、というかんじ。で、そういう全体の話は置いといて、現代若者の気分を抽象的に説明するために挙げられたゲームがエロゲーだったというのが引っ掛かり。往年に、人生をゲーム的に捉えたほうが良いかもしんないという時代があって(←おれもゲームっ子だから、小五くらいのとき母に「人生ってゲームだと思うんだ」とか調子に乗ったこと言って目が腫れるくらいぶん殴られた経験がある)、でも近年は、人生がゲームだった場合にはちょっと体感難度が高くなりすぎちゃってるかもよ、というあたりの流れで。たぶん人文系のひとがやっているのは、エロゲーに描かれている気分の抽象化を、同時並行した時系である現実の場に持ち出してくるというアプローチだから、それがエロゲーであることとか、またエロゲーによって描かれるものを摂取して暮らしてるようなエロゲーオタコミュニティがどうとかいう部分は(たぶん)どうでもいい話なんだろうし、またそれがどうでもよかったとしても別におれは何とも思わんので(←というか「エロゲーがどうでもいいわけではない時代」なら、10 年前くらいからしばらくオタ界隈で体感したし)、アレなんだけど、「近年のエロゲー」ではなくて「近年のエロゲーオタの気分」について、おれのゲーム生活の体感上、部分的にちょっとした変化があるかもなーと思っている。
というのは、「男子中高生がビデオ屋とか駅前の駐輪場とかで溜まって PSP でモンハンやってる」→「中高生がファストフード屋とかで溜まって PSP でモンハン 2 やってる」みたいな時代風景として、「おれらの年代でいえば多分エロゲーしか遊んでなかったのであろうタイプの大学生オタが、じわじわ XBOX Live に入ってきた」てのがあった。そういう「オフでの連れ合いとのネットワークプレイが基本の大学生クラスタ」と、あれこれの FPS のマルチプレイとかで野良やってると知り合うことがあって、仲良くなったら対戦で頭数が足りんからと呼ばれたりとかしていた。まあ多分、県外進学で一人暮らし、大学あんま行ってない半ひきこもり、というオタ大学生がやる遊びといえばアニメとネットとエロゲーくらいだったのが、時代変化で XBOX 360 とかが出た関係で、所属してるオタサークルの友人が一人買って、そこからサークルの面子にジワジワ普及して、結局仲間内みんな買っちゃったのでオフゲーの貸し借りやオンゲーの対戦協力とかして遊んでる、みたいなモデル。実際ネット対戦がメインとなるようなゲーム機であれば、MMO ほどではないにせよ遊び尽くすにはそれなりの自由時間が必要で、それを日本で一番持ってるのは「親元離れた一人暮らしの大学生男子」ということになるから、(国内でブームを起こせるほどの事件性は乏しかったので、SNS 機としての普及力はイマイチ発揮できなかったわけだが)360 の性質は当然そこに合致する。だからこれは別に不自然な現象ではない。
ただそこでおもしろいのは、前述のとおり 360 は多人数プレイが盛んなゲーム機なんだよね。エロゲーのような、ほとんどがシングルプレイ専用であるゲームジャンルとはまったく違う。で、人文系の話題で挙げられる「ゲーム」の特徴のほとんどは、それがシングルプレイであることによるものだったりする。漫画「神のみぞ知るセカイ」のギャルゲオタ主人公の台詞(?)に「セーブロード不可、バックログなし、ファーストプレイのみってどんな攻略だよ!!」てのがあるらしいのだけど、それとか「いやマルチならそれ当たり前だから」という話になる。まあ何度でも同じゲームモードに挑むことはできる、が、その時その場はただひとつ、この一回の勝ち負け生き死には一回きり、なわけだ。
まあ人文系のひとが Live 対戦の話題とかで盛り上がる日は当分来ないのだろうから、世の中では「いや現実ならそれ当たり前だから」というオチが当分は王道でありつづけるのだろうけど、それが当たり前であるゲームもいまどき別に少なくないんだよねってことは、対戦ゲーブーム以降のオタなら全員わかってることだろうし、また、最近は(人文系のひとにとってのシングル専用ゲーの象徴であろうところの)エロゲーと同時並行して FPS の対戦攻略やってるようなエロゲーオタだっているわけで、状況はだんだん解体されつつあるんじゃないかなと考えている。
エロゲー・PAR・チート的、あるいはツールアシステッド、または「強くてニューゲーム」等のそれらは、たしかに幼稚な万能感を充足する。一方で、皆がマルチプレイで盛り上がれるのは、そこに「フェアっぽさ」の保障(または有利ターンが回ってくるチャンス)があるからだ。エロゲー並みの環境で現実を生きたいというのは「おれ TSUEE」願望、または「おれがクリアできないゲームはクソゲー」という感情の裏返しで、対戦でそれやったら「死ねチーター」とマイナスモデ食らって終わり。そのどちらの空気も「ゲーム」というカテゴリ内にはあるよね、というかんじ。