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インターネット雑感

渋谷駅 | 060506

一昔前は、ちゃんと URI と書かないと裏路地で刺し殺されるようなイメージがあったけど、それはそれとして一括置き換えもできないから執拗に URL と書き続けてきたが、最近はもうあまりライトな日常語としては URL とも URI とも言われなくなっているような気がする。べつに検索とかすれば盛大に引っかかるのでなくなったわけではないのだが。遠くなったというか。おれが遠ざかったのかもしれない(インターネットに距離の概念をそのまま持ち込めるわけがないのだから、接近するとか遠ざかるとか、比喩の印象にひきずられる理解ってそのもののありように不自由の枷をはめてからでないと理解できないってことだから好きじゃないが、能力が及ばんので仕方なくもあり)。じゃあなんというのか。アドレスとかいうのかな。ニュースとかサイトとかエントリとかそういう言い方な気も。このへんは「頭が」という表現が廃れて「脳が」という表現が強まってきたとか、そういう筋合いとも近いのかもしれない。その逆目の流れっぽい気もするが。よくわからん。

新・極道の妻たち

TV でやってたので見た。おもしろかった。

やくざ映画は日本的な組織のお話なのだなと今回妙に染み入るように理解できた気がする。組織が義理であり家族が人情である。と書いてみれば単純そうだが、組織も親子も制度・内実両面で複雑極まり、しかもやくざ映画においては組織=家族という一面も大きく、絶対といい加減が不可分に溶け合いつつも、そこはやくざ映画であるから人死にも当然出るわけだから結果としてのコントラストは明快で、ややこしいことこのうえないが、そこはさすがに映画なのでコンフリクトの要点はわかりやすく提示され、なんだかとにかくすごいなと感心する。その味わいが非常にしめっぽい。いいとか悪いとかではなく日本。新極妻がシリーズ中でどのような位置付けの作品なのかわからないが、間違いなく何らかの様式に則った作品として感じられ、そしてその様式というのが、つまりはやくざ映画ということだったろう。やくざ映画には名作傑作が多いのだから、これを見たくらいでやくざ映画を見たつもりになってはいけないだろうけど、ひさびさに邦画のにおいを嗅いだ気がしてちょっとうれしかった。

あと今作で活躍する藤波三代目の名前が naoya で、このひと絡みの台詞が出るたびはてな的にちょっと笑った(Goo 映画:あらすじ全文→http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD26718/story.html?flash=1)。いろいろたいへんだけど心意気は誰より熱いぜ的な。愛もあるしな。まあ映画の naoya は作中で死んじゃうのでアレなんだけど。

Yggdra Union

電車の中では相当てこずっているのに、家で遊ぶとあまり問題なくサクサク進むので苦い。結局可読性だとかデモなり魔法演出などをスキップできないとか、そういった「余計な収まりの悪い時間」のデコボコ感が最大の難度になっているということだからだ。

  • ためしに黒薔薇を殺してみたら終了(それなりに梃子摺ったが)、白薔薇がすったもんだあって味方になり(これ白薔薇殺してたら黒薔薇味方になるんだろうな要リプレイってかんじか)、峠越えついでに山賊団を全滅させたり敵集団をやりすごしたりして王国北部に出て、いよいよ祖国奪還のため反攻に出…ているところでミラノが死んだので電源 OFF。どうも操作が雑というか、斧が不利目の敵が混じってるなかにも平気で突っ込ませているので運用注意だ。再生ヴァルキリー軍団は入口にデュラン置いとけば安定っぽいのでそれで(そこで下手にミラノに仕事させようとして失敗した)。あとこいつら殺してもどうせ篭城した連中ともう 1 ラウンドあるので面倒くさいな。まあどうにかなるだろう。
  • システムとしては、カタパルトとかユニオン追加要素とかも出た。ゴリ押しパズルというかボンバーマン大戦略というか。