THE DARK KNIGHT RISES
封切日に映画館行ったけどスルーしておおかみこどもを見た程度の忠誠心だったけども、日を改めて見に行ってきた。おもしろかった。時間もないのでれいによってログタレ流し。
- THE DARK KNIGHT RISES っていうかたぶん BATMAN BEGINS Final ってかんじだったよ。BEGINS 見てないんだよ。いろんな因縁が読めてないっぽい。まぁでも本作タイトルが BBF ではなく DKR なのは、「ダークナイトから入ったミーハーにもご満足いただけるように本シリーズを締めくくります」みたいな意図だと思うのでおれのように「?」となってるファンもマーケティングに含まれているはずなのである(←作品見て筋違いの憤りを覚えたときには「おれはこの作品の客だったかな?」と検証して、「おれはこの作品の客じゃない」と納得できればやはりこの感情は筋違いだった、と精神安定できる、というライフハックがあるんだけど、これの応用で「この作品はおれ(が含まれる消費クラスタ)をマーケティングしてるかな?」という事前検証による精神安定方法もまた存在する)。
- 「アメリケンエンタメ映画!!!」みたいなのを期待して行ったのだけど、思った以上に「国産 TV ドラマの劇場版 in USA」みたいなノリだった。なんつーの、場当たり的に盛り上げシチュエーションが幕の内弁当みたいだけど一貫性に疑問、みたいなかんじ。印象が、たとえば劇パト 2 よりは相当踊る大捜査線に寄ってる。そういや橋を封鎖してたしね。確変大当たりで名台詞ラッシュみたいなのもね。ネットの DKR 感想で「パト 2 の影響」みたいな記事あったけど、あれだよパト 2 だと思ってみたらガッカリしちゃうけどおどるだと思って見るとスゲーってなると思うよ。レインボーブリッジ閉鎖できてるもん。やっぱハリウッドは金かかっとるわ感。
- ベインの、あの象だかサイだかが喋ったらこんなかんじ、みたいな声は白人的でも黒人的でもなく、よかった。交渉とかが通じないかんじ。なんだろう、「ロシアがハリウッドとか MTV とか勉強して作ったけどソ連映画を引きずるところはそれなりに引きずってます」みたいなエンタメ戦争映画で「第 9 中隊(9rota)」てのがあるんだけど(→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20061026#p3)、あれ見たとき「ハリウッド映画だと黒人とかが配役されるんだろうなー、みたいなポジションにモンゴル人の相撲取りみたいなひとが配役されていた」ことに妙に納得させられて、ベインにもそれと似たものを感じたというか。古典的には黒人かドイツ人かアラブ人が敵になるところ、もっとなんだか大陸的な敵が設定されてんのは、映画というより近年のビデオゲームみたいな感覚かねと。いや原作漫画読んでないんだからわからんけど。
- 中盤からの状況作り、おもしろい、と思ったけどおれこれよりおもしろい状況すでに読んてだわと思っちゃった。AKIRA だ。潜入してきた米軍特殊部隊が全然役に立たねーところ含めて。ベインのゴッサムシティが鉄雄の大東京帝国で、そして金田の大東京帝国がない。おれ金田の大東京帝国見たとき「かっこいー」て思っちゃってたので、なんか状況だけ見せられてもまだ最悪とは思えんっていうか。ベインが配給食にクスリ混入して、見どころあるキチガイをスカウトしてアメコミ怪人養成ギプスとか使えばもうちょっとオモシロだったかも。
- なお、90 年代後半を通過した我々の感想として「天才女キチガイ(と無邪気な子供たち)が犯人なのはもういいよ」だが、ハリウッドは「カッコイイキチガイだったらまだいけるよ」と示したし、でも「カッコイイキチガイとしては女は激萎え要因になるので不適任、やはりキチガイは男に限る」と本作見て思った。
- 中盤に登場したフランス革命っぽい裁判官(場面のビジュアル的には「蓬莱学園の犯罪!」のほうを先に連想しちゃうけどね)、いきなり登場するわりに妙にキャラクタが濃いので「なんか過去作に出てた?」とか思ってたんだけど BEGINS に出てた怪人だったらしい。なるほど。しかしなんであすこで唐突にフランス革命ぽいモチーフが出てくるのかね、日本だととりあえず信長とか龍馬とかいっとけばおっさんが興奮するようなもんで、アメリカ人の建国精神にはフランス名物フランス革命みたいなシチュエーションみると興奮するような因子が埋めこまれてるの?いや日本でも長谷川哲也氏の功績によりフランス革命流行ってんので、このノリにもどうにかついていけますけど。
- DARK KNIGHT の山場のひとつに「囚人満載のフェリーと市民満載のフェリー、それぞれに「相手のフェリーを爆破して自分たちだけ助かるボタン」を渡して、さあどっちが先に押す?」みたいなシーンがあって、あんとき見せ場を作った "ザ・アメリカン牢名主" みたいな風体のデカイ黒人、誰にでもあってほしい倫理みたいなものが最善のパフォーマンスで具現化したようなかんじで時代劇みたいなベタな感銘を受けたんだけど、今回 DKR でベインに開放された囚人たちの中にはあの種の囚人が全然含まれてないかんじで膝カックンした。まあ今回開放されたのはデント法で新たに逮捕された世紀末モヒカン犯罪者たちで、前作みたいな「ふつうの凶悪犯」は含まれませんってことなのかもだけど。そういう「さっきのコンフリクトどこいった?」みたいなかんじが日本のドラマの劇場版っぽいなーと思った。
- ザックリいえば「バットマンに執心してる怪人が、バットマンの作った超ヤバい未来技術を奪ってすきほうだいしてゴッサムシティがひどいめにあったが、怪人はバットマンに執着しすぎるツメの甘さから逆転され、クライマックスは別のやつにもってかれたけど見てるおれの気持ちは怪人のほうに残ってるのでラストらへんはなんだか…」みたいなかんじに。ベインは独自に規模の大きな実行力をもってるのでバットマン居なくてもかなりのことがやれたと思うが、しかし爆弾も戦車もバットマンもちの独立宣言だったし、やっぱこの世界バットマンさえ居なけりゃ平和というか、世界の狂気のプロモーションは今回もまたバットマンの自作自演感たかいなーと思った。ラノベ化したら「俺の狂気が怪人どもを産み育て引き寄せすぎてゴッサムが修羅場すぎる」みたいなかんじ。もちろんバットマンのような人間を生み出したのはゴッサムシティなのでラスボスはゴッサムでありゴッサムを生んだアメリカが狂気でアメリカを建国させた人類史が原罪。その分裂的な激流を一身に集約するバットマンはもはや世界意志のようなもので、これがサイコ側に振れていかないように祈るしかない。
- 最後ブルース・ウェインは死んだことになって、バットマンの生死は謎…生きてるかも…みたいな中途半端なかんじで終わるんだけど…いやいやこれ中途半端じゃねえよ、ブルースが死んじゃったらバットマンも死んだようなものだよ。だってこれ「海賊匋冥は生きてるけどヨーム・ツザキは死んだ」みたいなもんじゃろ。ツザキの顔を持たない匋冥はもう匋冥とはいえないよ。
とかなんとか。そのほか。