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アニメ感想が読みたいんだが案外むずかしい

アニメ体力問題への対応をはじめてから五年が経過した(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20040406#p3)。五ヶ年計画とかではないけど、おれのオタ生活も随分アニオタ側に揺り戻せたという実感がある。さらなるやり込みによって、その実感を貪欲に追求していきたい。というようなわけで最近はじめたのが他人のアニメ日記漁りで。しかし、これが意外とむずかしい。ゲーオタとしてのほかのゲーオタ日記漁りなら、それほどむずかしくはなかったんだが、慣れの問題かなー。

アニメ関連のブログを辿っていると、批評っぽいのとか界隈トークとか業界ニュースとかは色々あるのだけど、おれが想像するような「ふつうのアニオタ日記」がなかなか見付からない。アニメ界隈は、ゲーオタ界隈同様に、部外者からみてよくわからん独自発展を遂げたような形跡があって、なぜいまこのノリになってんのかが、おれのような新規参入者にはわかりづらく感じられて、困る。あれこれ検索してみて、ようやく普通の日記を見つけたと思ったら、おれとは見てるアニメのラインナップが全然違ってしょんぼりしたりする。他人のアニメ日記参照欲というのは「あーなるほど、こういうひとはこのアニメをこう見るのか」みたいな、同時性を多角的にブラウズすることによって、より現在のアニメシーンを立体的に体感したいって意味だから、自分が見てないアニメの感想だとあまり意味がないし、自分と似たような人間の日記を読んでも仕方ない(←おれと似たような人間の感想は、おれと似たようなものになるはずなので、多角的なシーン体感に繋がりづらい)。見るアニメ増やせって話ではあるけど。そこはダラけさせろよ。アニメはゲームなどより広汎に普及している趣味であるはずだから。おれと似ていないひとのなかに、おれと同じアニメ視聴ラインナップで暮らしてるひとは含まれているはずなんじゃよ。ゲームなどよりはよほど高確率で。

で、探してるときに見掛けたエントリで興味深かったのが、「「アニメ感想」の困難(←何度目だ)」というエントリで。

マッハの戦いが繰り広げられているようだ…。

批評 vs 感想。定義でひとしきり遊べるだけの容量のある用語だから、こりゃたしかに揉める。以前(アニメに関する話題ではないけど→)「作品の役割はその感動を与えることにあると思う。批評の役割はその感動が過ぎ去った跡で、それでもなにかを残すことにあると思う」という発言を読んで、いたく感心したことがあって、だから基本的におれは批評というものには一定の期待感を持っておきたいと思っているんだが、とりあえずアニメ界隈(殊に web 上の)においては、批評っぽいものを読んでも仕方ないという感覚があるのも確かだし、上で書いたようなアニメ感想日記探しのためには、用語「批評」で括れる界隈はフィルタリングしたほうが効率的といえそうだ…が、単に排除するってのも違うんだよね、だってアニメ鑑賞ログ蓄積という行為は、その方法(感想 or 批評)によっておもしろさが決まるようなものじゃないので。どっちかっていうと属人性で選ぶほうが適切だ。よさげなひとが書きさえすれば、感想だろうが批評だろうがおもしろく読めるはずなんだよ。どうかすれば、語ってるアニメ自体はつまんなくても、感想はおもしろく読めたりする。まあ、方法の向き不向きってのはあるから、そこいらの微妙見え方の変化、くらいのかんじで参考にしていきたい。

そのほか雑然とメモ。

  • なんとなくだが、感想は量を束ねて判断し、批評は質で選ぶようにしている。ひとつの作品の評判を知りたいなーと思ったときに、「感想っぽいな」と感じたエントリは、十数件くらいざーっと検索してあれこれ読んでみて、それらを総合した平均値をイメージするようにしていて、「これは批評かな」と感じたエントリについては、十数件くらいざーっと検索してあれこれ読み比べて、「これはよさげなエントリだな」と思った数件だけ残してあとは忘れる。だから感想や批評ってのは、書き手の自己申告は信用していなくて、自分の読み方によって判断してるかんじだ。まあ内容に関係なく「「感想」と書いておくのがブログ作法的に安全」「「批評」と書いておいたほうが自己顕示欲的にトク」みたいなかんじで、基本的に自分に都合のいいアピールしかしないものだしインターネットっていうのは。
  • アニメ感想を書くために、アニメに詳しくなる必要はない。
    • 批評をやるためには、ある程度それが流通する論壇的なものを意識する必要があるから(批評は何らかの経路に乗せて、その目的とする誰かに届け、残らなければならないので)、書くためのリテラシは要求されて然るべきだろうと思うけど、感想の場合には「そのときその場に誰かが居た」という量的な観測に最終的には帰するものであるから、自分のアニメ知識がどの段階であろうと書き残すことができるし、アニメ知識が多ければ多いほど上質な感想になる、わけではない。
  • 感想は、何回同じことを繰り返し書いてもよい。
    • 100 回見て 100 回おもしろかったら、100 回「おもしろかった」と書くのが感想だ。感想においては、いつどこで何度繰り返されてきた感情であっても、それがそのときその場で起きたことであれば、書き残す意味が生じ続ける。つまりは「現場主義」に近いってことだな。これが批評の場合になると、既に誰かが書いていることなら引用して、そこにまだ誰も書いていないことを接木して、大系を形作っていくのがまともらしいやり方だと思っているので、だいぶ話は違ってくる。車輪の再発明はスマートじゃないのでイケてない、必要なもののうち権威化されているものを上手に参照しつつ、取りこぼされている大切なものを拾い上げ、その輝きを守るため必要とあれば邪魔な権威を解体する、みたいな。やっぱ批評ってかしこいひとがやんないとダメだろうなー。
  • つまんないアニメを見て「つまんなかった」と書くのは是か非か問題
    • この Web 2.0 時代のインターネットにおいて前提的に求められるのは、140 字(Twitter)または 100 字(はてなブックマーク)または自在ぶった切り(Tumblr)においてもなるべく意味切断の生じない要約力・カプセル化への意識だから、そういう意味で「〇〇がつまならない」という日記は書くべきでない、とはいえる。つまんないアニメ見て無理に「おもしろかった」とか書くのはまったく無意味だけど、つまんないアニメのつまんない部分について書くのは無意味であるばかりでなく邪魔なんだよね。要約するってことは、つまらない部分を端折って、おもしろかった部分について簡潔にまとめるということだから。つまんないアニメのつまんない部分をネチネチ書くのは Web 1.0 的で古い。という言い方があるかな。
    • 基本的に感想日記というのは「〇〇した。おもしろかった」さえ書いておけばあとはなにをやってもいいと思っているので、実際だいたいおれはそんなかんじだ。だから一行目に「おもしろかった」と書いといて、二行目以降にネチネチとつまんなかったリストを書くのはオールドタイプ的にはアリの作法。
    • 実感としては、つまんないアニメを見て「つまんなかった」と書くぐらいだったら、不快なアニメ見て「これイヤだな」とか「おれはこれ嫌いだな」とか書いとくべきだ(つまらないのと嫌いとは全然違う、前者は不在確認に関する日記であり、後者は確かに存在したものについての日記だ)。「この頃のおれはこういうものが嫌いだったのか」てのは、数年後とかに自分の日記を読み返すとき、かなりおもしろく読める題材のひとつで。やっぱ不快や嫌悪は感情の振れ幅が大きいからかな。「つまんない」って状態は、感情的には涅槃みたいに平坦で、あとで読み返しても退屈だ。「だから何」みたいな。
  • 感想の見せ合いっこして、答え合わせというか、「同じであること」の絆を確かめ合うよーな感想圏はキツい。
    • インターネットの相互調整機能ってやつですか。どこ読んでも同じような感想になってると、差異観測によるシーン立体視がやりたいおれのような人間にとっては、だいぶ困った状況に陥る。相互調整機能の浸透は現状不可避なかんじだから「この作品については、この読み方が正しいのだ」みたいな一強皆弱状況は、まあある程度致し方ないところがあると思うけど、「この作品については、この感じ方が正しいのだ」みたいなのはちょっとディストピアぽいっていうか。
    • とはいえ、感じたままのピュアな感想を垂れ流しちゃうと、いつ「なんか珍獣が居る!ブヒョヒョ」みたいなかんじでウォッチャーたちの好餌になって袋叩きに遭わないとも限らんので、ある程度のリテラシが、(批評的な意味とはまた別に)やはり感想界隈にも必要という話になってきて…厄介だ。
    • 相互調整により「同じことを書こう」とし、炎上リスクにより「無難なことを書こう」とする、というのと別に、相互調整ドライブ逆噴射で「ひとと違うことを書こう」とする罠ってのもあって。感想は、思ったことなら基本的になんでも書いていいと思っているが、逆にいえば思ってもいないことを書いたらそれは感想ではないという話になるから、うーん。
  • でもひとの感想読んで「なるほどこういう感じ方があったのかー!」と作品自体への印象までが一変する、という体験はエキサイティングだ。自分にも誤配した情報の、より良い・自分とは違った受け取り方をみるのは、オタクとしての幸福でもある。
    • おれはひとの感想読んでもあんま自分の感想変わらないひとなんだけど、最近でいうと「鉄腕バーディ DECODE 02」について、ひとの感想読んで見る目が変わったことがあった。ああいうのは良いから、たぶんそうそうあることではないけど、今後ともなるべく機会を逃さず味わっていきたい。本来パラダイムシフト的な興奮って批評とかに期待するところなんだけど、べつにそんな大それたことでなくとも結構感動したりするしね人間。ちょっと陰ってたところに光が射すみたいな。