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最近のインターネット

  • アニオタとして「日本のアニメに誇りを持っている」というのは痛いなーと思うんだけど(←ただ見てるだけで、自分がその産業に従事してるわけでも、維持・向上に寄与しているわけでもないのに、誇りだけ持つってのはどーよという)、同時にアメリカ人のゲーオタとチャットしてるときなどには、相手も自分もある程度自国のゲーム文化背景を代表して喋ってるよーな気分になったりして、あんまり痛さを感じない。うーん?
    • この違いってなんだろうなーと思ったときに、あれかなー「ゲーオタとしてのおれ」は海外オタと交流することがあるんだけど、「アニオタとしてのおれ」は滅多に海外オタと交流しないからかもな、と思った。対外となったとき、「自国文化を背景とする自分+他者と対等にやりあうならプライドを持つべき」という自覚はわりあい自然に持てるんだけど、内部だけで「自国の文化に誇りを持っている!」と確かめ合うかんじって、なんかヤだなーという。だから、自分で海外のアニオタとも積極的に遣り取りするようになれば、おれも「日本のアニメに誇りを持っている」言説を痛いとは感じなくなるのかも。
    • 考えてみればゲームの場合でも、ネット対戦とか一切やらない&国産ゲームしか遊ばないひとが「日本のゲームは世界一!日本のゲーム文化に誇りを持っています」とか言ってたらプックスてかんじだしなまあ。
    • ゲームはネットワーク対戦の一般化によって国境が外れたかんじだけど、アニメで国際交流っていうと、まだそれほど太い流れはないよな。強いていえば動画共有サイトによって徐々に箍が外れていくことになるのかなー。
  • 痛いひとに共感するひとが多いのは、世の中痛いひとのほうが多いからで、それは自然。痛いひとたちに「自分は痛い」と気付かせないのがコミュニティの役割のひとつ。これは匿名コミュニティに「つまらないひとをおもしろいひとのように見せる」仕組みが必要なのと同じ。
  • 自己責任論の悪用例として「説教はしたいが、その説教どおりにやってうまくいかなかったという訴えが来るリスクは避けたい」というショボい使いこなしが見受けられる。じゃあ説教するなという話になるな。むーん。
  • 「アニメ 10 本」の話(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080724#p3)は、対象の具体性のなさこそがオタ的。「ある日空から女の子が降ってきたら」というシミュレーションと一緒。
  • ところで水滸伝の孫立&孫新兄弟は、尉遅敬徳にあやかって病尉遅と小尉遅という仇名を持っていたが、これになぞらえてロリ絵描き兄弟が大槍葦人氏にあやかって病 NOCCI(大槍氏風の病弱キャラ絵が得意)と小 NOCCI(大槍氏風のちびっこキャラ絵が得意)と名乗るというネタを考えた。