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成長じゃなくて変身

  • 電脳コイル OP、「眩しすぎて見つめることもできない太陽〜」て歌詞、たぶんそれほど強い陽光の話なら夏の昼間ってかんじなんだろうけど、歌の調子が夜明けか夕暮れってかんじなのでいまいち印象が浮つく。それこそが新しいリアリズムなのかもだが。あとおれは、色弱の影響でか、太陽をそれほど眩しいと感じなかったので「見つめることもできない太陽」ってのは、大人になったあとの実感だ。つまり「徹夜で見上げる太陽は黄色い」という種類の理解。
  • それでいうと、電脳コイルって OP もなんか歳食ってアンニュイなかんじだし、ED は思い出からはじまっていて、子供っぽくない。けど、どうかなー子供のほうが思い出を思い出として意識するものなのかもしれない、と思ったりする。大人にとって過去は、思い出というより現実だ。
  • …というらへんからつなげて、最近アニソンとか聞いて感じている「変わる自分、の変わった先が変わる前の自分から連続してないイメージ」問題に絡んだりせんかなーと思ったけど、あんま絡まんなー。やっぱおれ情緒が弱いので詩の問題はむずい。
  • たとえば図書館戦争 ED の場合「ちゃちゃちゃ CHANGES さあ変わってく」のあと「さよなら 古い自分」と続く。「さよなら」なんだよ。ゴルゴ 13 OP の場合もっと直接に「過去の弱い自分はもういない」という。歌謡全体がどうなってんのかは知らんけど、最近の歌は「変わるということは、変わる前からの決別である」みたいな前提で歌ってるかんじなのかなーという。だから成長とかじゃないんだよね。変身。成長しても、古傷とか弱点とかクセとかは残るかもしれないんだけど、変身だったら、そういうものも変わっていくのかもしれない。そういうふうに変化していきたいという願望が、いまのモードなのかもわからんなーとか。
  • 成長しても、苦手だったキュウリはやっぱり嫌いとか、左利きとか、足がくさいとか、会議中ついついボールペンを回してしまうとか、そういう身体的な痕跡はついてまわると思うのだよなー。そして身体的な「証拠」はいつでもどこでも発見できて、「あー昨日のおれから連続して明日のおれへとつながってゆく今日のおれー」みたいな自意識を死ぬまで補強しつづけるような気がしている。欲望されているような「変身」っていうのは、それこそ「仮面ライダーが好きな子供が、おかあさんからどうしてもキュウリを食べろと言われて、しかし自分のままでは覚悟が決まらず、だから食卓で変身ポーズを取って、勢いと気合でキュウリを食べきる」みたいな感覚からきてるのかもな、とか思った。デキる自分になりたいとかではなくて、イヤな自分と決別したいという意味での、変わる自分。