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C さん迎撃 OFF

C さん迎撃 OFF

コミティアあわせで C さんが上京していたので新宿で宴会。主にアニメ話というか、延々図書館戦争トーク

  • RD 潜脳調査室」はなにがおもしろいのか
    • 一言でいえば、脈絡なく太いところがおもしろポイント。以前書いたとおり(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080418#p2)「高度情報化が浸透した南洋の楽園っぽいところで、上流階級っぽい子弟が冒険する、みたいな作品」に新味とかは特に感じない。ユニークさがないではないけど、カテゴリの範疇だ。そういう部分でないとすれば、「少女と(少年のような)老人の、性欲に裏打ちされたほのぼの純愛未満もの」みたいな、わりあい不健全な楽しみ方もなくはない。あのような老人の世代には、メタルの奥底で「ホゲー、こなたはワシの孫おお」とか言ってるひともたぶんいっぱい居る。そのような世界と理解したら手っ取り早い。
    • 似たように「脈絡のないものが脈絡なく画面に露出すること自体のおもしろさ」で引っ張った観のあったアニメというと、これもまた「高度情報化が浸透した南洋の楽園っぽいところで、上流階級っぽい子弟が冒険する、みたいな作品」でつながっているといえなくもない、「Blue Drop」というアニメが去年あった(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20071122#p1)。RD のおもしろさがが「出てくる女キャラが脈絡なく太い」とすれば、Blue Drop は「出てくる女キャラの頬が脈絡なく紅潮している」のがおもしろポイントだった。
    • なお、RD の女キャラは例外なく太いのだが、それがデブを意味するのかというと全然違う。肉付きはいいけど均整で、例外なくがっしり体格でプロポーションが良い、強いて用語「デブ」で表現するなら「彫像っぽいデブ」とか「美しいデブ」みたいなかんじになると思う。骨太美人?
  • 図書館戦争」がおもしろがれないよ問題
    • 経緯(→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080428#p2)。
    • 原作未読のおれの推測:原作はもっと単純でディフォルメされてるお話。アニメ化した際、I.G. 社が妙に気合を入れてリアリティ方面への絵的な説得力を上げてしまったため、我々のようなオタが「そのような作品だという見方をしてもいいのかな」と勘違いした、とかじゃないかなー。
    • れいによって推測だけど、この話って「中央政府地方自治体の対立を背景にした、良化特務機関(中央)と図書隊(地方)の代理戦争」というニュアンスだよね多分。小さな政府へ向っていく過程でパワーバランスをどうすんべ的な隙間に生まれた限定内戦?そこに近隣諸国の思惑が絡んでくると…みたいなかんじで。
    • 戦闘のリアリティ面。マッシヴな FPS のフィールドをアニメ化した、と仮定した場合には、図書館戦争の戦闘描写はけっこうおもしろい。「とことんリアル、ではないけどリアリティがありそうなもの」という意味では、ゲームの戦闘シーンってだいぶ「リアリティがあるけどリアルじゃないもの」として身に馴染んでいるので。
    • 小田原攻防戦、良化特務機関側がいかにもな装甲車とかじゃなくて、市販のものを改造したバンみたいなのを使ってたのはある意味リアルな気がした、との意見。設定だと良化特務機関は金持ちで図書隊は貧乏、みたいなかんじらしいんだけど、図書隊側は本の搬出に軍用ヘリとか使ってて金持ってそう。戦闘エリアを図書館に限定しているということは、ヘリとかは「撃墜すると周辺の無関係な建物に被害がいくかもしれないから、施設内で何メートル以下を滞空中以外攻撃しない」とかいう決まりとかありそう。
    • そのへんでいうと、良化特務機関と図書隊は、図書館内以外では戦わないわけだから、それ以外の場所ではたぶんあんまいがみあったりしてないはず、だけどそんなことができるのかなーというリアリティの話になる。たとえばある図書館で銃撃戦をやったとして、双方に救急患者が出たときに、担ぎ込まれる救急病院ってたぶん同じだったりするんじゃないかと思うんだけど、そこでバッタリ顔をあわせたとして、どうなるだろうなーとか。そこいらへんは、本作における日常描写と銃撃戦のギャップというか、「たまに本屋で検閲があったり、あと図書館で銃撃戦があったりする、以外はごくふつうの日常です」という描き方の問題に預ける形になるわな。「検閲におびえながら本屋とか営業してられないんじゃないのか(それともじつは「検閲」といいつつ没収した本は全部良化特務機関が買い上げてくれるので本屋も不良在庫をまとめて処分できてラッキー、とかなのか?図書隊が良化特務機関の検閲を抑止する場合には、図書隊が全部買い上げるらしいけど)」とか「いつ銃撃戦がはじまるかもわからない図書館に、それでもひとは(日常的に)本を借りにいくか?」みたいな疑問は当然出てくるわけだけど、そういう部分で日常が維持されている理屈についての解説は、いまのところないが、たぶん理屈は存在するんだろう。ようは「限定的な非日常を内包した、退屈な日常」というドラマなわけだ。そういう構造は珍しくはない。
    • これまた推測だが、おそらく、「図書館戦争」が 90 年代に出版されていたとしたら、「図書館ダンジョン」になっていたはずだ。あのっすねーダンジョンものに多いんだよこういう、つまり「限定的な非日常を内包した、退屈な日常」の作り方。ネット小説でいうと「和風 Wizardry 純情派」とかモロにそうだったし、似たところでは火浦功ひと夏の経験値」もそう(というか共に「Wizardry を現代風世界に持ってきたら」というインスパイアだ)。「ひと夏の経験値」といっても秋口ぎぐる氏の TRPG 小説のほうではないので注意。いくらでも挙げられすぎて具体的にどれが決定打とはいえない。さらにもってきて、「図書館が、なんだかよくわからないけどダンジョンになっている」というネタも古来いくらでもあって、深層に挑み貴重本を発掘するとかそういう冒険モノは、たぶん 3,4 年に一度は必ず見るアイディアだったかと思う、本でも漫画でも PBM でもいっぱい見たような覚えががが。で、「図書館がダンジョンになっている=図書館を舞台にした PvM(シングルプレイ)」という構造を、現代的にリストラすると「図書館で内戦する=図書館を舞台にした PvPマルチプレイ)」になりはせんかなという。なので、図書館で戦争というのは新しいアイディアではなくて、古いアイディアをリストラしたものなんだろうと思っている。
    • なぜあの馬鹿な笠原を我々は決定的には嫌うことができないのかといえば、笠原は「プラネテス」の田名部愛と同じくバレー部づらのキャラだからだ、とかいう話も改めてした。用語「バレー部づら」は、もともと「書店員づら」の対義語として生まれたような気がしたが、あんま覚えてない。わりあいどうでもよくもある。なお、「パトレイバー」の泉野明の場合、あれは時かけ原田知世氏の弓道部を背景にしたバスケ部づらなので、バレー部とは微妙に違う(事務能力と体力を両方問われる職場つながりではあるけど)。
    • ただ、注意しなければならないのは、プラネテスのタナベは主人公ではなかったという部分。プラネテスにおいては「やさぐれ側の主人公 vs ピュア側のタナベ」という対立と融和がひとつのテーマにもなった。どっちにも正しさはあるけど、偏ってるだけじゃうまくいかないかもね的ななにか。しかし図書館戦争においては、ピュア代表が主人公だから、ちょっとむずかしく思える。というのは、彼女の成長がうまく描かれなかった場合、それが単に「ピュアから逸れてやさぐれた」ように見えてしまうかもしれないわけだ。本作がこのまま真面目なスポ根(?)路線も捨てずにいくなら、「本当の自分」みたいなものを主人公が獲得したりするステップもあると思うんだけど、それがどんなものになるかはちょっと不安だ。劇パト 2 の泉野明のように「あたし、いつまでも本が好きなだけの女の子でいたくない」とかのたまうくらいに化ければ…いやそれはないか。

とかなんとか。一次会居酒屋の二次会喫茶店で閉店まで、終電ギリギリの C さんを大江戸線の降り口まで送ったあと解散。