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「○○爆発しろ」関連

フレーズ「○○爆発しろ」が流行しているようだ。なかなかいいフレーズだと思う。しかし結局責任を回避した用法が流行るのだなとも思う。面倒な世の中になった。というのは、「死ね」より「死ねばいいのに」が選ばれる理屈に近い。その中にあって軽妙さを求めているがゆえの、「爆発」なのだろう。しかしオタが出す結論はそれでないと思いたい。現代語であるからには現代的な適応も取り入れねばならない。諸々勘案し、取れない責任のうえに立つのが今世紀の主役たる DQN の態度なのだから(であるがゆえに DQN は殴り、オタは責任(=コスト)を計算して殴らない)、そこへ我々なりにオタクの美学を加えて、ここは「爆破した」が正解だと結論した。法的物理的道義的にそれが爆破可能であればただちに爆破し、爆破不能またはそれをすべきでない対象については爆破シーンを脳内レンダリングして、完了した旨を報告する。

  • ほかのひとからのつっこみ応答。
    • フレーズ「ちょっと○○してくる」から変形しての「爆破してくる」は二つの理由でアウト。ひとつはオタ美学違反。つまり殺すと思ったときには殺害が完了しているべきだ、ということ。いまからそれをするという宣言は、実況的で柔軟だからひとつの優れて正しい現代的な態度といえるのだが、オタクの態度としては硬度に欠け、そんなヘナチョコはプロシュート兄貴に怒られる。もうひとつは現実的なリスク回避。「爆破してくる」は仲間内だけならいいが、それが郵便的な誤配により冗談の通じないクラスタに届いた場合単なる爆破予告でしかないので、通報リスクを伴う。「○○爆破した」なら犯行声明だから、読んだ時点でその○○が実際に爆破されたかどうかを確認することにより、事実か物語かを判定できる。
    • 「(爆)」はもともと自爆のニュアンスが強いので別口。「自爆した」とかはアリなきがする。仮に今後日本でも自爆テロが一般化するようなら、不謹慎ワードということになるかもだが。

とはいえ「爆破した」だと意志が加わりすぎて「爆発しろ」という表現からこぼれ落ちるニュアンスが多すぎるのもまた事実。考えれば考えるほど「爆発しろ」優秀なんだよな。これをバッチグーだと思えないのは、たぶんおれが古オタだからだ。カウチポテトで待ち受ける態度をよしとせず、どこかに選び取る感覚を欲してしまう。その溝はおれの内側にあるので、埋めたければ自分で埋めるしかない、が。

なにせ「バクハツ」という拍子がいい。インパクトがありつつ、どこかしら間が抜けている。無罪の願望であり、あるいはデウスエクスマキーナ待望論であり、結局なにも解決せず、状況の異化でもなく、ただ爆発させること。たとえば三段論法とかの場合でも、あれは一応論法なのだといえるが、爆発オチには理由も経路もなにもない。80 年代的なパワーか。おれの想定だと「爆発しろ」と指定された対象は、自動的に採石場に転送され、その様子を望遠で映していたカメラがすーっと引いて、全景になったところで盛大に爆破される。煙が収まった爆心にカメラが再び寄ると、煤で汚れモジャモジャパーマになったひととかがポカーンとした顔をして、それでも無傷で残っている。メガネをかけていればそれは真っ白になっており、ブホッと口から煙の塊を吐き出してもいい。爆発の系統は、近年のような燃料主体の爆炎ではなく、往年特撮のような火薬特盛りの爆煙系。そういう牧歌的というか、ユーモラスな、しかし情報の海の水圧から隔離されたようなシーンをただ見たいという、微かな気分。時代語よな。